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「硫黄島からの手紙」

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さて、たいへん遅ればせながら、クリント・イーストウッド監督作品「硫黄島からの手紙」を見てきました。

 

年末年始にご覧になった方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

 

みなさん、どんな感想をお持ちでしょうね。

 

プロデューサーの名前に、スティーブン・スピルバーグもありましたので、「プライベート・ライアン」みたいな、アメリカの美学といいましょうか、アメリカン・ヒューマニズムがぷんぷん匂い立つような作品なんじゃないか……という偏見を持って、シネマQのスクリーンの前に座ったのですが、見終わってまず思ったのは、「なんで、この映画を、日本人の手で撮れなかったんだ?」。悔しいほどの出来映えでした。

 

主人公は2人。渡辺謙さん演じる栗林中将と、二宮和也さん演じる一兵卒の西郷。

 

この2人の目で、極限状況の人間模様がなまなましく、ふんだんに描かれていきます。

 

栗林中将の自決でクライマックスを迎えますが、お涙頂戴の演出は全くなく、最後までリアリティーを追求していました。

 

なにせ、「硫黄島の闘い」は、日本軍にとって、玉砕を前提にした死闘でした。本土防衛のために、いかに1日でも戦闘を長らえるか……を最大のテーマとしていました。

 

しかし、圧倒的なアメリカ軍の戦力を前に、実は、日本軍のなかに、内部崩壊もしかねないほどヒビが生じていました。陸軍と海軍の考え方の違い、上官と部下との確執……などです。

 

それでも、栗林中将の指揮の下、戦争史上まれにみる持久戦が繰り広げられていきます。

 

とても印象深いシーンがありました。

 

中村獅童さん演じる、超右翼でバリバリの指揮官が命令に反し、憤然と独り、斬り込みに出掛けます。しかし、その途上でふと、「もう、いいか」と気持ちが移ろう場面でした。

 

獅童さん演じる指揮官が、戦場にゴロゴロと転がる日本兵の死体に紛れて米軍戦車をじっと待っているとき、空をぼーっと眺めていました。すると、雲間に、大きなアホウドリが一羽、ゆうゆうと飛んでいるのを見つけたのでした。……そんな、シーンです。

 

この場面を見たとき、前世の私は、あの男じゃなかったか……と思いました。

 

良い映画は、必ずと言っていいほど、印象に強く残るシーンが私にはあります。みなさんはいかがでしょう。

 

さて、「文藝春秋」の最新号(2月特別号)に梯久美子さんというノンフィクション作家が、「検証 栗林中将 衝撃の最期 ~ノイローゼ説、部下による惨殺説の真相」という一文を寄せています。

 

史実は、「硫黄島からの手紙」に近かったのかどうか……。

 

映画とともに併せて読みますと、深みが増すと思います。

 

切れのよい、お勧めのルポルタージュですよ。

 

……ところで。

 

ここで、問題です(笑)。

 

硫黄島の闘いと沖縄戦は、どちらが先に起きているでしょうか?

 

*07年1月17日のラジオ沖縄「フレッシュモーニング」で放送予定。

 

硫黄島の闘いは、1945年2月16日~3月16日。沖縄戦はその後。沖縄戦における日本軍の組織的戦闘の終了は、同年6月23日です。



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感動のカリフラワー

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先週、糸満に住んでいらっしゃる知人から、カリフラワーをひとつ、いただきました。

 

一瞬、四十年ほど時間がワープして、近所の女の子が大事そうにいつも抱いていた「縫いぐるみ」が脳裏に浮かび上がってきました。

 

その人形の顔の輪郭と色が、似ていたのです。

 

その晩、ほとんど無農薬で育てたというカリフラワーを、さっそく堪能しました。

 

たまたま女房が出張で不在だったため、湯だつ鍋の前に私は独り、じっと佇み、少し透明感が出てきたかな……というタイミングで楊枝を突っついてチェック。

 

そして、ホクホクの温野菜をいただきました。

 

このご馳走のために、オーストラリア産のお気に入りのシャルドネを準備。ちょっと奮発して2000円台の逸品を買いました。

 

湯気のあがり方も上品なカリフラワーと、しっかり冷えた白ワインの饗宴。素晴らしい食事になりました。

 

いただきながらつくづく思ったのは、こういうプレゼントをさりげなくできる人たちを「大人」と呼ぶのではないか、と。

 

お金を出して買ったものも、もちろん思いは込もりますが、まさに手塩に掛けた〈時間の結晶〉をいただきますと、こちらの感動が違います。

 

昔の家族は、自分たちで育てた食材を使って手料理をつくり、会話を楽しんだんだろうな……などと思い、現代とどちらが豊なのかなぁ……などとも思いをめぐらせました。

 

*07年1月16日のラジオ沖縄「フレッシュモーニング」で放送。

 

感動しすぎたのか、食欲のせいか、ゆでたてのカリフラワーの写真を撮るのを忘れてしまいました。



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「大阪 左側空け」の謎

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さて、ヤマト(本土)ではエスカレーターに乗るとき、東京では右側を空けて、大阪では左側を空ける……なんていわれますね。

 

日本経済新聞の先日(07年1月6日付)の記事によりますと、片側空け……のルーツは、ニューヨークの地下鉄が起源ではないかと推察しています。

 

あちらでは左側を空けるのですが、その原因は、自動車の右側通行癖がそのままスライドしたのではないか……ということです。

 

記事はその後、東京の右側空けも自動車の左側通行癖によるもの……と推察し、大阪の左側空けの謎に挑んでいます。

 

で、日本経済新聞が取材した結果、次の結論に達しました。

 

……きっかけは、1970年の大阪万国博。会場に設置された「動く歩道」のマナーがいまも生きている!

 

つまりですね。大阪万博の「動く歩道」では当時、「海外からの来訪者のために左空けを基準とした」そうです。

 

それにならって、阪急梅田駅では、「お急ぎの方のために、左側を空けてください!」というアナウンスを構内で流すようになったとか。

 

意外でした。大阪万博のマナーが、30年以上経ってもまだ、生きているとは!

 

ところで、沖縄のエスカレーターでは、左空けでしょうか、右空けでしょうか。それとも、真ん中に、どーんと立っている?……今度、パレット久茂地に行ってみたときにでも、観察してみましょう。

 

話は変わりますが、悦子さん(ラジオ沖縄・屋良逸子アナウンサー)……。

 

アメリカではなぜ自動車が右側通行なのでしょう。その原因について、聞いたこと、ありますか?

 

一説によりますと、馬車の時代のムチと関わりがあるそうです。

 

右手でムチを持って馬の尻に叩こうとするとき、ムチがしなって、対向車にぶつかってしまいます。それで、右側通行になったとか。

 

では、そうなりますと、イギリスではなぜ左側通行なのでしょう。

 

その質問に、あるイギリス紳士が、冷笑しながら答えたそうです。

 

「わが国の道は、広いので心配ありません」

 

*07年1月10日のラジオ沖縄「フレッシュモーニング」で放送予定。



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