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てぃーだ降(ぶ)い論争

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ラジオ沖縄(ROK)の早朝ワイド情報番組『フレッシュモーニング』のパーソナリティーを担当させてもらった当初、パートナーは、屋良悦子アナウンサーでした。

 

それまでの私はリスナーの一人として、極上のヴィンテージ・ワインの〈ルージュ〉を連想させる大人の美声にうっとりするばかりで、まさか仕事をご一緒できるとは夢にも思っていませんでした。

 

その後、今日に至るまで、屋良アナは、人様の書いたニュース原稿を四十歳にして初めてマイクの前で読む事態になった私を優しく見守り、適切なアドバイスを繰り返してくださっています。

 

ところで……(このくらい前置きしておけばいいかな)。

 

〈わが師匠〉であるにもかかわらず、屋良アナとは番組中に、幾度か論争を繰り広げてきました。

 

そのひとつが、〈てぃーだ降(ぶ)い〉という言葉をめぐる論争。

 

〈てぃーだ降い〉は、太陽雨……と漢字表記されることがあります。

 

察しがつくと思いますが、ヤマト(本土)では、天気雨……に当たります。

 

ちなみに、沖縄には〈かた降い〉という表現もあります。

 

全部でなく片側だけ降る雨……という意味で、〈天気雨〉と同義語です。

 

ところが、屋良アナは、〈てぃーだ降い〉の従来の意味に対して、真っ向から異議を唱えたのです。

 

「〈かた降い〉は〈天気雨〉と同義語よ。でも、〈てぃーだ降い〉は、全く意味が違うの。〈てぃーだ〉とは、ウチナーグチ(沖縄方言)で太陽のこと。だから、〈てぃーだ降い〉は、降り注いでくる太陽の光のシャワーのことなの」

 

在沖縄20年になろうとしていた当時の私は、この異議に対して、一笑に付しました。

 

記者仲間たちの口からも、〈てぃーだ降い〉という言葉は何度も聞いていましたし、その意味は、100%、〈天気雨〉だったからです。

 

そこで私は、『沖縄語辞典』を持参しました。

 

そして、沖縄出身の有名文化人が多数参加して昭和三十八年に発行した国立国語研究所の辞典だ……と前口上を述べ、〈てぃーだ降い〉のところを開いてみせました。

 

そこには、てぃーだあみ(雨)と同じ……と記され、その指示に従うと、次の記述がありました。

 

 

日照り雨。きつねの嫁入り。tiidabuiともいう。

 

どうだ!……とばかりの私。

 

ところが、今度は、屋良アナに一笑に付されてしまいました。

 

「どうして権威があると、鵜呑みにしてしまうのかしら。まずは、お年寄りに尋ねてみるといいわ」

 

あまりにも落ち着き払っていました。

 

で、その後、年配の方にお目に掛かれるチャンスがあると、「〈てぃーだ降い〉って言葉、どういう意味ですか?」
と、私は質問させてもらうようになりました。

 

たいていは、〈かた降い〉と同じ意味……という答えが返ってきます。

 

ほら見たことか!……という思いで、私は、こんな質問を重ねます。

 

「太陽の光のことじゃ、ありませんよね?」

 

ところが、その言葉に、ハッとした表情をなさるお年寄りが、ひとり、ふたり……と。

 

実は、最初の衝撃は、鈴木和子税理士事務所の女性スタッフの母親でした。

 

その女性スタッフが、私の代わりに直接質問してくれたのですが、

「昔は、そういう意味だった……」

という答えが返ってきたのでした。

 

昔、髪を洗った後などに、風邪をひいてしまうといけないから、太陽光のシャワーを浴びていらっしゃい……と親に言われる場面で、〈てぃーだ降い〉という言葉が使われたそうです。

 

屋良アナとのコンビは、一昨年(04年12月)まで続きました。

彼女は現在、宮田隆太郎アナと、木・金曜日を担当しています。

 

そろそろ敗北宣言をしようかな……と、チラリと思い始めているのですが、もう少し、粘ってみることにしましょう。

 

屋良アナにはとりあえず、このウェブサイトで近況報告。

 

しかし、権威に強くてもPCには滅法弱い〈わが師匠〉は、ウェブサイト『ウチナータイムス』を開いてこの文章にたどり着くまでに数年は掛かるはずです。

 

その期間に、あらためて宣戦布告をするか、白旗を振るか、決着をつけることにします。



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遠い日の犯罪

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―あっ、S君じゃないか?……間違いないぞ、あの、子供を叱っている中年は。
国際通りの松尾バス停付近にあるドトールコーヒー店の店内。
S君に叱られ、泣き出したのは、小学校に上がるか上がらないかという年頃の男の子。彼の息子に違いない。その隣には、高校生くらいの女の子が、われ関せず…と、不機嫌そうにジーンズの脚を組んでいる。
こちらも彼の娘だろうが、姉弟の年齢が開きすぎる。顔つきも、重なるものが薄いような気がする。となると、もしかしたら、トイレに入っている母親は、彼の後妻かもしれない。
S君は、息子が小さな両手で掴み、精一杯口を開いてかじったミラノサンドからマヨネーズ・ソースが垂れたのを見て、叱ったのだ。
その叱り方が、私にはヒステリックに映った。
だから、
「失礼ですけど、府中市立の小学校でクラスメートだった、Sさんじゃありませんか?」
と、わざわざ席を立って尋ねる気にはなれなかった。
ほんとうにS君だったら、三十数年ぶりの再会になる。とくに親しかったわけではないし、同じクラスになったのも五年生の一年間だけだったので、われながら、よく気づいたものだ。
決め手になったのは、しゃべり方と声そのもの。変声期を迎えても甲高かったのだ。加えて、丸顔とその肌。
そうそう。S君はこんな内容の作文を書いて、先生に指名され、あの甲高い声で披露したことがあった。

 

このあいだの日曜日。お昼ごはんを食べたあと、テレビを見ていたら、きのうゼロ戦のプラモデルがほしくなったことを思い出した。
だから、隣でいっしょにテレビを見ていたお父さんに、「ゼロ戦のプラモを買ってよ!」とねだった。でも、お父さんは、テレビばかり見ていて聞いてくれない。ぼくは泣きながら、買ってほしいと何度もねだった。
そんなことをしているうちに、夕方になってしまった。お父さんはやっと、お金をくれた。ぼくは十段ギアの自転車に乗って、急いでオモチャ屋に行き、プラモを買った。その帰り、夕日がとてもきれいだった。
〈夕日がとてもきれいだったぁ?……なんという身勝手な叙景なのだ!〉
というようなニュアンスの独り言を、このとき、五年生の私は、腹のなかでつぶやいたのだった。S君は、金持ちの家の一人っ子のせいか、だいぶ甘やかされていた。
そういえば、そのわがままな言動に腹が立ち、皆とつるんで泣かしては、駄菓子屋でおごらせたことも、―一度や、二度じゃなかったな……。
五年生にしてニキビ面だった彼に、月面クレーター…とあだ名をつけ、登校拒否寸前にまで追い込んでしまったのは、
―あっ!…私か。
私は独り、ドトール・コーヒー店をあとにした



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風速50mの台風にも耐えられる沖縄初の農業用パイプハウス

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昨年(2004年)から面白い取材を続けさせてもらっています。AETハウスと
いう、風速50mの台風でも耐えられる農業用パイプハウスの開発をめぐる取
材です。
資金があれば台風に強い大型ハウスはいくらでも建てられますが、沖縄の農家は大半が零細です。

そこで、安価なパイプハウスで台風に滅法強い室内栽培施設を造ろう…と、沖縄県農業試験場をはじめ、拓南伸線・第一農薬がチームを組んで取り組んでいるのです。
試作品が昨年初夏にでき、実際に台風にぶつけながら改良を加え、このほど完成しました。今年は、沖縄の農家の間で、このAETハウスが話題になるはずです。
沖縄県農業試験場の玉城麿研究員は、「棟高2・8m、軒高1・8mというサイズに設定したのも大きな特徴です。このサイズにしたのは、暴風に当たりにくくする配慮からですが、表現を変えれば、建設経費が掛かる大型ハウスでなくパイプハウスで風速50mに耐えうるには、これがMAXなのです。このサイズのもと、強度補強に数々の新技術を施しています。

直径48・6mmの主骨材の採用、ツマ面の諸対策、ワイヤーとターンバックルによる内部からの補強などです。その成果は、台風の当たり年だった2004年に実証済みです」とコメントしてくれました。
また、琉球大学農学部の鹿内健志助教授は、「AETハウスについて私が関わった仕事は、県農試が行った数値解析に対してその手法をチェックし、風に対する強度評価を行うという技術的なサポートでした。
数値解析ばかりでなく引っ張りの試験もやっていますから、AETハウスは、すごく頑丈だと言えます。既存のパイプハウスのなかで最強ではないかと思いますね」と断言なさっていました。



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