第8回 捕虜の琉球国王が描いた肖像画

カテゴリー: 連載/沖縄史カフェ…休止
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ある日のこと。

 

すっかり「純喫茶うちなーたいむ」の一員になってしまった蟹青年が、お客様たちが使ったコーヒーカップを、お盆に片づけながら、

 

「ねぇ、カコちゃん……」

 

と、声を掛けた。

 

奥のカウンターでテーブルを拭いていたカコちゃんが、手を休めて振り返った。

 

蟹青年は、お客様がテーブルに置きっ放しにした本を持ち上げてみせた。

 

「まえから気になってたんだけどね。この本、なんで、このお店にいつも置いてあるんだろ」

 

表紙に、『ザ・フォト 祇園祭  京都書院刊』とある。

 

「祇園祭は、京都だよ。自分も見物したことあるけど、沖縄と、関係ありそうもないけどなぁ」

 

祇園祭は、起源が1000年以上もさかのぼるといわれ、タペストリーに凝った31もの山と鉾が、美しい古都を練り歩くことから、《動く染織美術館》などと賞賛されている……と、あるウェブサイト (^_^)/ では紹介している。

 

「さすがに記者志望ね。鼻がきくみたい」

 

カコちゃんは、意味ありげに笑って見せると、マスターに聞いてごらんなさい……とばかりに、目を少し大きく開いて顎をそちらに向けてみせた。

 

聞き耳を立てていたのか、マスターが咳払いをした。

 

マスターは、こんな話から切り出した。

 

「私はね、祇園祭というと、あの有名な山鉾巡行よりも、宵山(前夜祭)の光景のほうが先に思い浮かぶなぁ。宵闇が迫る頃、山鉾はそれぞれ、提灯に明かりを灯し、祇園囃子を奏で、明日の巡行を待つんだ。山鉾を管理している町家はそれぞれ、前掛け・見送り・水引などのタペストリー、そして、自慢の屏風を公開するんだけれども……」

 

そこで、マスターは、目を細めた。

 

「たいてい、その町家は老舗でね。そんな町家へ、浴衣に着替えた京都市街の若いOLや学生さんたちが、鈴の音をさわやかに立てながら、訪ね歩くんだ。その新旧のコントラストがとても新鮮で、私にとって宵山は、鈴の音のニライカナイ……のような」

 

そのとき、カコちゃんが、蟹青年に悪戯っぽく囁いた。

 

「マスターの趣味、だいたい分かるでしょ?」

 

その声にマスターは、

 

「……もう、20年ほども前の話さ。いまは、浴衣なんか、みんな着なくなっているかもしれない」

 

珍しく、赤面しながら言い訳をした。

 

「私が祇園祭に出掛けたのは、山鉾のひとつ《黒主山》をめぐる取材でね。《黒主山》は、満開の桜をうわっと仰ぎ見る大伴黒主がご神体の山(御輿のように担ぐタイプ)で、前掛け……つまり、山の前面に飾られるタペストリーが、琉球ゆかりのものなんだ。デザインされているのは、龍。1600年代の初頭に、〈第二尚氏〉7代目の王・尚寧が、日本の僧・袋中(たいちゅう)上人に贈ったんだよ」

 

「へ~え!」

 

蟹青年は感嘆すると、再び驚きの声を挙げた。

 

「あれっ!……尚寧っていうと、たしか、島津の侵攻に遭ったときの王様でしたよね?」

 

マスターはうなずいた。

 

「いまから400年ほど前の、1603年のことなんだけれども、磐城国(福島県)出身の浄土宗の僧・袋中が、琉球に漂着してしまったんだ。中国を目指して渡海したんだれどね。そして袋中は、漂着した琉球に仏縁を感じたのか、浄土念仏の教化につとめたんだ。その結果、国王の尚寧をはじめ、儀間真常など当時の経済人・文化人が帰依したらしい。……あ、そうそう。君は、エイサーを知ってるかい?」

 

「もちろんですよ!……エイサーは、東京でも『新宿エイサーまつり』をやってるほど人気ですよ。姉が勤務している小学校の学校行事にも、採用されたくらいですからね!」

 

「そのエイサーの起源は、袋中が伝えた盆踊り(念仏踊り)ではないか……という有力な説もあるんだよ」

 

「そうなんですか!……ぐっと、身近な感じがしてくるなぁ」

 

「しかし、袋中の一番の功績は、なんといっても、『琉球神道記』などを記したことなんだ。《古琉球》を知るうえで、極めて貴重な文献……と評価されている。源為朝が舜天の父……という、興味深い一文もあるからね」

 

「袋中は、どのくらい滞在したんですか、琉球に」

 

「およそ3年。帰国したのは1605年。その4年後に、島津の琉球侵攻……が起きている」

 

「う~む。……《古琉球》のギリギリに、滞在してたわけだぁ」

 

「侵攻後、尚寧は、島津によって囚われの身になり、《江戸のぼり》をさせられたんだ。徳川家康・秀忠に謁見するためにね。その途上、恐らく京都で、袋中と再会を果たしたようなんだ。そのときの贈呈品も含めて、尚寧は袋中に、琉球滞在中からいろいろな品を贈っていて、その大半は現在、京都国立博物館に納められてる」

 

「すると、《黒主山》の龍の前掛けも、その頃に贈られた品ってわけですか」

 

「その通り。現在はレプリカが使用されてるけれども、私が取材した当時は、四つ爪の龍……本物の《四爪飛龍波濤文の綴錦》でね。かなり傷んでいたけど、明代の貴重な史料だ!……と専門家は折り紙をつけてた」

 

「でも、なんで、《黒主山》に?」

 

「袋中が開山した『檀王法林寺』の檀家のなかに、黒主山の関係者がいて、寄付を依頼したらしい。実際、寺には、《黒主山》に贈ったことを示す〈寄付証状〉や、《黒主山》からの〈受領之証〉が残っている」

 

そこまで言うと、マスターは息をひとつ吐き、数秒だったが沈思した。

 

「実は、一連の取材で、謎が残ってるんだ。……ちょっと待っててね、カコちゃんにも見せたこと、まだなかったっけな」

 

マスターは、そう言い残すと、なにやら資料を取りに行った。

 

まもなく戻ってきて、蟹青年に差し出したのは、『特別陳列 袋中上人と檀王法林寺』(京都国立博物館発行)の案内冊子だった。

 

「一番最初のページを開いてごらん。『袋中上人像』が載ってるでしょ。この肖像画は、尚寧の直筆……とされているんだ」

 

「……ずいぶん、ずんぐりとした、怖そうなお坊さんですね!」

 

「《賛》に記してある〈辛亥〉〈春三月〉は、1611年春。……ということは、《江戸のぼり》を済ませた尚寧が琉球へ帰るために、薩摩に滞留した時期に当たる。つまり、袋中との再会を果たした後、その印象に頼って描いたようなんだ。そして、どんなルートを使ったか不明だが、京都にいる袋中に贈った」

 

冊子を覗いたカコちゃんが口を開いた。

 

「人物画は、描いた人に似る……っていうけど。王様が描いたとは思えないほど厳しい感じ。体全体から、重厚な迫力が発散しているみたい」

 

マスターはうなずいた。

 

「そこなんだ、謎は。本当に、尚寧が描いたのだろうか。……でも、もし、尚寧が、本当にこの肖像画を描いたとすると、帰国に臨むにあたっての心中が伝わってくるような気もする。なぜ島津の言いなりになってしまったのか!……という、批判の声に耐えようとする、ある種の悲壮感……というか」

 

「尊敬する袋中上人の姿をお借りして、心の拠り所にしよう……としたのかしら」

 

カコちゃんが感想を言うと、蟹青年が腕組みをし、小さな目をパッと見開いた。

 

そして、

 

「袋中上人に送ったんだから、自分の心情を、肖像画に託して、伝えようとしたのかも」

 

と、呟いた。

 

「それにしても……」

 

マスターが再び口を開いた。

 

「尚寧と袋中上人の思いがこもった龍が、いまも古都を往く。……残るというだけで、たいへんなドラマだね」

 

蟹青年とカコちゃんは、同時に頷いた。

 

〈続く  次号(第9回)は「2」に載っています〉

 

*写真は、尚寧が描いたとされる『袋中上人像』の一部。クリックすると、拡大します。

 

◎関連の記事として、「レポート&エッセー」中の『京都・祇園祭のなかの《古琉球》』(05年7月14日)をどうぞ。

 

*『沖縄史を語るカフェへようこそ~純喫茶うちなーたいむ』は、立教大学の「沖縄集中講座」の参考資料として企画したものです。内容は異なりますが、地元日刊紙が05年に発刊した別刷特別号(タブロイド判)の、いわば《原本》にもあたります。第1稿が完結して歳月がだいぶ経過していますので、現在に即してリライトし、ヨ~ンナ~(ぼちぼち)連載していきます。



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