第9回 最優秀助演賞は中国系か

カテゴリー: 連載/沖縄史カフェ…休止
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それから数日後のことだ。

 

図書館から「純喫茶うちなーたいむ」に戻ってきた蟹青年が、小さな目をぱっちりと見開いてカコちゃんに言った。

 

「このあいだ、マスターがラジオで、明国が進貢貿易を許したのは、琉球の軍需品が欲しかったからだ……っていうハナシ、してたでしょ」

 

「硫黄と馬よね」

 

「それそれ。いま、村立図書館へ行って、調べてきたんだけど……」

 

そう言って蟹青年は、数枚のコピーを広げてみせた。

 

「1470年の明国への朝貢品をみると、馬15匹、硫黄2万斤、象牙400斤、束香200斤、胡椒400斤などなど……。馬と硫黄は、琉球産。あとのは、東南アジア産。硫黄は、進貢貿易の初めから、琉球王国がなくなる頃の1874年まで贈られているんだよね。馬は、1680年まで。その後は、薩摩藩経由で手に入れた錫に替わってる」

 

蟹青年のコピーを手にしたカコちゃんも、口を開いた。

 

「夜光貝の殻(螺殻)は1425年頃から登場しているのね。1回の朝貢で3000個も!……でも、1690年に朝貢品から除外されてるわ。たしか、明国が滅亡したのは、1644年。明国にとっては貴重な螺殻も、清国には無用だったのかしら。琉球産の馬も、そのケースかもしれないわ。騎馬軍団で明国を滅ぼしたような国ですもの、清国は。馬をイヤというほど持ってるはず」

 

「なんか、ショックなんだよなぁ」

 

「どうして?」

 

「琉球っていうと、平和外交……っていう感じの先入観があるからかなぁ。軍需品が、進貢貿易のきっかけだったなんて」

 

「当時は、《左三ツ巴紋》の時代……つまり、海商たちの時代、倭寇の時代だったって、マスターも言ってたじゃない」

 

「図書館で考えたんだけど……。琉球は、海商たちというか倭寇にとって、大陸へ進出するには理想的な拠点にみえたと思うんだ。一方で、明国にとっては、火薬の原料になる硫黄の産出地だし、ここを手なずければ、倭寇の要塞を、倭寇に対する防波堤に転換もできる。明国が手を差し伸べたのは、そのあたりに理由があったんじゃないかなぁ」

 

「そうねぇ……」

 

カコちゃんも思案顔になった。

 

「海商たちにとっても、それほど抵抗がなかったかもしれないわ。琉球で大陸並みの交易ができれば、わざわざ黒潮を横切らなくて済むもの。これは大きかったはずよ。黒潮を横切ろうとして、だいぶ遭難したっていうからね。だから、唐旅(とうたび)……って言葉が沖縄には遺っているの」

 

「唐旅?」

 

「死ぬことを、唐旅へ行った……って表現があるくらいなの。それでも、琉球側は、明国から大型船をもらっているから渡りやすいわ。航海術や貿易のハウ・ツーに長けた中国人スタッフも付いていたかもしれないし。それが、〈久米三十六姓〉だったんじゃないか……って言う人もいるわ。でも、日本からやってきた海商たちの船は、かなり命懸けだったはず。やっと渡ったからには、荒稼ぎもしたくなったでしょうね」

 

「そうか!……琉球を《フリー・トレード・ゾーン》みたいにしておけば、明国にとっては、自動的に倭寇対策というか、国防策になったわけか」

 

「そのうち、琉球は、尚真というすごい王様が登場して、《嘉靖の栄華》を迎える。琉球王国は、《左三ツ巴紋》の素顔を消して、外面は、繁栄をもたらしてくれる明国に合わせた容貌に転換していく。そして内に向けては、ノロを組織化するなど復古調の容貌で、中央集権化を推し進めていく……。これが、マスターの説だったわね」

 

「さっき言ってた〈久米三十六姓〉じゃないけど、琉球を統一した尚巴志の国相を務めた懐機……とか、けっこう中国人たちが活躍したみたいだね。《客家》系の人たちのようだ……なんて書いてある本もあった」

 

「そういえば……。英祖王統の御陵『浦添ようどれ』の人骨のなかに、大陸系の女性の骨がみつかったって。《古琉球》の時代は、大陸への水先案内人のような人たちや、明国とコネクションのある人材が、とっても貴重だったんでしょうね」

 

「《左三ツ巴紋》の時代を終わらせたのは尚真だ……ってマスターは言ってたけど、実働部隊は、琉球人になった中国人かもしれないね。……彼らの子孫はいま、どうしているんだろ。華僑みたいな感じで残っているの?」

 

「〈久米三十六姓〉ゆかりの人たちのことを、久米村の人……とか、クニンダー……なんて言うけど、すっかりウチナーンチュになっているわ。世界中に散らばっている華僑のなかでも、珍しいケースらしいわよ」

 

「ねぇ、島津の琉球侵攻(1609年)があったとき、その〈久米三十六姓〉の人たちは、どんな様子だったんだろ」

 

「その事件は、《古琉球》が幕を降ろした出来事なんだけど、琉球側の政治責任者だった三司官(さんしかん=国政を司る3人の宰相)の一人が、謝名(じゃな)親方。久米村の人なの。鹿児島に連行されて、処刑されてしまったわ。島津の侵攻後、50年くらい混迷した歳月が続くんだけれども、そんな時代を収拾した政治家に、羽地朝秀(向象賢)という摂政(首相)がいたの。史書『中山世鑑』の編述者で、王家ゆかりの人物なんだけど、その後継者にあたる三司官・蔡温(さいおん)が、これまた久米村の人。哲人政治家……っていう尊称があるわ」

 

「《古琉球》の幕引きも、《近世琉球》の幕開けも、中国系の人たちが、重要な脇役を演じていたんだなぁ」

 

「さっき、《第一尚氏》を補佐した懐機の名前を出してたけど、中国系の人々のなかには、琉球王国にとって、最優秀助演賞ものの活躍をした人が、少なからずいたみたいね」

 

そのとき、「純喫茶うちなーたいむ」の扉が開き、マスターが帰ってきた。

 

マスターは、二人の空気を察したのか、

 

「おっ、熱い論議をやっているようだね」

 

笑顔をつくりながら、白い紙箱をカウンターに置いた。

 

「今度オープンするリゾートホテルのパテシエと、すっかり話し込んでしまってね。ずいぶん東洋史に詳しい人なんだ。先祖は、クニンダーだって。……それ、おみやげ。ウチにクッキーづくりの名人がいるって自慢したら、試食してみてくれって。レアとスフレと、焼いたチーズケーキが入ってるそうだよ」

 

(続く)

 

*写真は、ロワジールホテルに隣接するミーグスク(三重城)で見掛けた母子。琉球王国の玄関口は那覇港。ミーグスクから船を見送る風情は、琉歌にも詠われている。
クリックすると、拡大します。

 

*『沖縄史を語るカフェへようこそ~純喫茶うちなーたいむ』は、立教大学の「沖縄集中講座」の参考資料として企画したものです。内容は異なりますが、地元日刊紙が05年に発刊した別刷特別号(タブロイド判)の、いわば《原本》にもあたります。第1稿が完結して歳月がだいぶ経過していますので、現在に即してリライトし、ヨ~ンナ~(ぼちぼち)連載していきます。



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