第10回 『かぎやで風』の秘密

カテゴリー: 連載/沖縄史カフェ…休止
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「いやぁ、良かったですよ!……琉球舞踊の才能もあったんですね、カコちゃんは!」

 

蟹青年が、演舞を終えてテーブルに戻ってきた礼服姿のカコちゃんを絶賛した。

 

「琉装も似合ってましたよ!……ホント、昔の琉球のお姫様は、こんな感じだったんだろうなぁって!」

 

ここは、村立公民館の大ホール。『純喫茶うちなーたいむ』の近隣にあるペンションのオーナーが再婚し、その披露宴が行われている。

 

蟹青年は、沖縄の結婚披露宴に自分も出席できるとは夢にも思っていなかったので、大いに感動し、そして、招待客の数の多さに度肝を抜かれていた。

 

祝い酒で顔が少し赤くなっているマスターが、蟹青年に笑顔を向けた。今日のマスターは、ストライプの効いたバーバリー・スーツをびしっと着こなしている。

 

「カコちゃんが披露してくれた『かぎやで風(カジャデフー)節』はね、ウチナーンチュのお祝い事に、絶対に欠かせない楽曲なんだよ。だけど、『かぎやで風節』の《かぎやで》とは何か……となると、知らない人がけっこう多いんだな。……カコちゃんは、知ってた?」

 

「いいえ。……《かりゆし》みたいな意味なのかしら」

 

「うん。確かに、かくまで立派な果報……という説もある。……しかし、1795年に編集された、現存しているなかで最も古い琉歌集(琉歌百控乾柔節流)にはね、アタガフヌツィチャスィイミヤチョウンンダンカヂャディフヌツクイビタトゥツィチャサ……とあって、題目は『嘉謝手風節』と記されている」

 

蟹青年が、小さな目をパッチリ開いた。

 

「なんですか、いまのウチナーグチ(沖縄方言)の部分……」

 

マスターは、目の前のビールグラスを横に置き直すと、コースターをひっくり返し、ボールペンで何やら書き始めた。

 

 

安多嘉報(思いもよらぬ大果報)
の付す夢やうん見ぬ
嘉謝手報のつくへ(鍛冶屋手ふうの作り方)
べた……と付さ

 

 

蟹青年は腕を組んだ。

 

「カギ括弧のお陰で、鍛冶屋が登場したのは分かりますが、意味がいまひとつ……」

 

「この琉歌はね、鍛冶屋がつくったといわれているんだ。奥間カンジャーという有名な人物でね。《第二尚氏》初代の王・尚円(金丸)が国頭按司にとりたててくれたとき、その喜びを表したそうなんだ。……意訳すると、こんな感じかな」

 

マスターはまた、コースターの裏に書き始めた。

 

 

思いもよらない大きな果報がわか身に付くことは、夢にさえも見なかった。ところがいま、鍛冶屋の手に掛かって鍛えられる作り方のように、果報が、べたっとわが身に付いたのだ。

 

「『かぎやで風』は、つまり《鍛冶屋手ふう》。この琉歌は、琉球国王の前でうたわれ、21世紀に入っても、結婚披露宴はもちろん、大事なお祝い事には必ず、オープニングで披露されている。いつしかみんな、気がつかなくなってしまったけれども、実は、琉球王国の繁栄と鉄が、切っても切れない関係にあったことを暗示している琉歌なんだよ」

 

カコちゃんが身を乗り出した。

 

「いま、尚円の名前が出てきましたけど、《第一尚氏》王統を築いた尚巴志にも、自分の刀をヤマト(本土)の海商に売って鉄を買い、それで農具をつくり、お百姓さんたちを喜ばせた……って伝説がありますよね」

 

「その通り。その前の王統を築いた察度にも、鉄をめぐる伝説がつきまとうし、さきほどの琉歌をうたったとされる奥間カンジャーは、察度の義弟にあたる……という伝説も、奥間集落にはあるんだよ。それから、勝連按司・阿麻和利の家臣も、奥間カンジャーから鍛冶技術を学んだ……と言い伝えられているな」

 

蟹青年が口を開いた。

 

「尚円が、その鍛冶屋を按司に取り立てたのは、やっぱり、製鉄技術が狙いだったんですか?」

 

「尚円こと金丸を、奥間カンジャーが守ったからだ……という伝説がある」

 

「えっ?……どういうことですか」

 

「若き日の金丸は、故郷の伊是名島で迫害されて国頭に渡ったんだけれども、国頭でも住民の迫害を受けたそうなんだ。そのとき、奥間カンジャーが身をもって金丸を守ったとか。……しかし、金丸という名前の《金》も鉄を連想させるし、二人は、そもそも鉄で結びついていたような匂いがするなぁ」

 

「そういえば……」

 

カコちゃんが、遠くを見るような目で呟いた。

 

「……園比屋武御嶽(そのひゃんうたき=ユネスコの『世界遺産』に指定されたグスク関連史跡のひとつ)にも、鉄の神様(金の御筋の御前)がおまつりしてありましたね。《第二尚氏》が、いかに鉄を重視していたか、分かるわ……」

 

蟹青年が、顔を、カコちゃんからマスターに移した。

 

「でも、その鉄の原料は、どこから仕入れたんですか。沖縄に、鉄鉱石なんかありましたっけ?」

 

マスターは、苦笑した。

 

「沖縄には、鉄をつくれるような鉄鋼石も、砂鉄もないよ。タタラ炉が築かれた形跡もないし、タタラ炉をつくるための粘土、タタラ炉を運営できるだけの燃料も恵まれていない。だから、鍛冶屋がトンチンカン、トンチンカン……と鍛えた鉄は、原料になる鋼の塊を、よそから輸入していたことになる」

 

「もしかして、硫黄や馬の見返りとして、中国からもらっていた?」

 

蟹青年が、意気込んで仮説を述べた。

 

マスターは再び苦笑した。

 

「察度の時代のエピソードなんだけど、李浩が1374年に来琉し、鉄器1000、陶器7万を以て馬および硫黄と商う……という記録が、中国側に残っている。また、『免(みん)の大親』という伝承もあるな。中国で鍛冶技術を覚えた人が琉球に戻ってきて、鍛冶屋を始めた……」

 

「やった!」

 

蟹青年は膝を叩き、どんなもんだい!……とばかりに、カコちゃんに笑顔を向けた。

 

「……ところがね。李浩が持参したのは鍋釜(鋳物)のたぐいで、鋼物の輸入は少なかったようなんだ。というのは、当時、中国では、鉄の輸出は禁止されていて、その法を犯すと厳重に処罰されたんだ。周辺諸国の戦闘能力を高めるリスクを回避しよう……という国策だよ。もう一つ言えば、中国は、製鉄の原料として輸出できるほど、鋼が余っていたわけではないんだ。逆に、進貢貿易で琉球から日本刀を受け入れた。これは、宝物や武器としてではなく、製鉄の原料としてだったようだね」

 

「このあいだ、どこかのグスクの周辺で、鉄滓(てっさい)が出た……って記事が新聞に載っていましたけど、じゃあ、その鉄滓の素材は、中国からのものではない……ってことですね」

 

カコちゃんが質問すると、蟹青年も畳み掛けた。

 

「ん?……鉄滓って、そもそも何ですか?」

 

「鉄滓っていうのは、金糞(かなくそ)のこと。トンチンカン、トンチンカン……と鉄を鍛えたときに飛び散ったものだよ。沖縄の各地で出土した鉄滓を、精密に科学分析したレポート(『沖縄産業史 自立経済の道を求めて』古波津清昇著に掲載)があるんだけど、調査した鉄滓のすべては、鍛冶タイプで、タタラ製鉄によるものはなかった。素材の原料については、砂鉄系と鉱石系の両者があり、複数の産出地から搬入されたものだということも分かった。ちなみに、作家の司馬遼太郎氏は、沖縄の鍛冶屋が鍛えた鋼の塊は種子島から持ってきたものが大半だったんじゃないか……なんて、『街道をゆく~種子島みち』(朝日新聞社)で記しているね」

 

「《アマミキヨ》って神様は、もしかしたら、種子島と関わりのある人たちのことだったのかなぁ」

 

蟹青年が、ぽつりと呟いた。

 

「考えてみれば、グスクの石だって、硬い鉄がなければ削れませんね。……《野面積み》はともかく、《布積み》《相方積み》のグスクの石となると」

 

カコちゃんも、つられるように感想を述べた。

 

マスターがうなずいた。

 

「《野面積み》の今帰仁グスクにも、切れ味鋭い妖刀『北谷なーちらー』で削った石でつくった……という伝説があるよ。だから、沖縄の歴史・文化を象徴する《グスク文化》は、鉄なしには語れない……と言っていいな」

 

「グスクに、鉄をめぐる物語が、どっぷり眠っていたのかぁ……」

 

蟹青年が感慨深げに呟いたとき、ステージの近くで、司会者が演壇に立った。

 

どうやら、余興が始まるようだった。

 

(続く……次回は、ぐっと間を空けて2006年春予定)

 

*写真は、15世紀前半に護佐丸が築いた座喜味グスク。山田グスクの石を手渡しで運んで築城したという。クリックすると、拡大します。

 

*『沖縄史を語るカフェへようこそ~純喫茶うちなーたいむ』は、立教大学の「沖縄集中講座」の参考資料として企画したものです。内容は異なりますが、地元日刊紙が05年に発刊した別刷特別号(タブロイド判)の、いわば《原本》にもあたります。第1稿が完結して歳月がだいぶ経過していますので、現在に即してリライトし、ヨ~ンナ~(ぼちぼち)連載していきます。



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