読むビタミン剤・第8錠 上杉謙信の「義」、沖縄でも

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今回の主人公は、明治時代のヤマトゥンチュです。

 

歴史の虫眼鏡を、1881年5月から83年3月までの日本に当ててみますと、政界に、大きな地殻変動が起きています。

 

世に言う「明治14年の政変」です。自由民権運動の盛り上がりを背景に「10年後に国会を開設する」という勅旨が出て、自由党、立憲改進党が誕生。伊藤博文が、欽定憲法の研究のためにヨーロッパへ渡っています。

 

そのまま虫眼鏡をずらして、まったく同じ時期の沖縄を覗いてみますと、ヤマト(本土)から赴任してきた県令(県知事)が、自分を任命した明治政府に対して、過激な上申をしています。

 

「沖縄県の農民は、悲惨な暮らしをしている。彼らの家はたいてい2、3間角(にさんげんかく)の小屋で、四方の壁は茅と竹でできており、軒(のき)は地面からようやく3、4尺の高さで、ほとんど床というものがない。家族6~7人が、豚や山羊と一緒に住まい、蚊や虻(あぶ)に刺されるまま、芋を食って暮らしている。
着物も粗末で、雨に濡れ、日にさらされ、履き物もなく、家にひきこもって、ときたま泡盛を飲むのを最高の楽しみにしている。
彼らは字も読めず、めいめいの負担する税額すら知らない。ただ村役人の言うがままに銭や米・粟を納めているにすぎない。
こんな惨めな生活をしていて、自分の惨めさを知らない。どうして沖縄の人々だけが、こんなに不幸になっているのか!」

 

まるで腕まくりをして挑んでくるかのような県令の上申を受けて、明治政府は大いに慌てました。まさに、飼い犬に手を噛まれたからです。

 

当時、日本と清国との関係は最悪の状態に差し掛かっていました。

 

もし、ウチナーンチュが清国と結んで王政復古の暴動でも起こしたら、日本は、南方進出への拠点を失いかねませんでした。

 

そこで、明治政府は、琉球王国の支配者層だった人々の特権を、王国時代とほぼ同様に認めてやり、いわば手懐けたのです。歴史学者は、その懐柔策を「旧慣温存政策」と呼んでいます。

 

しかし、王国時代に支配者層ではなかった大半のウチナーンチュは、たまったものではありませんでした。あいかわらず、貧困を極めた暮らしを続けなければならないのですから。

 

沖縄県令の上申は、明治政府にとって、危険な提言に映りました。

 

もし、その提言通りに政治の舵を取ったら、旧支配者層の特権を取り上げることになります。そうなれば、せっかく手懐けた彼らが、離反してしまうにちがいありません。

 

ところで、明治政府を震撼させた沖縄県令は、上杉茂憲(もちのり)という、米沢藩最後の藩主だった人物です。

 

歴史ファンなら、「上杉」の2文字を見て、もしや!……と、ときめいたのではないでしょうか。

 

2009年のNHK大河ドラマは、上杉謙信が理念として掲げた「義」をテーマにした『天地人』でした。そのドラマで、主人公の直江兼続が仕えた上杉景勝から数えますと、茂憲は、13代あとの直系にあたります。

 

上杉県令は着任後、離島を含め、県内各地を巡回視察し、重税と貧困にあえいでいる農民、大きな屋敷を構えて倉をいっぱいにしている地方役人、農民を不当に搾取している地方吏員(沖縄県に派遣された国家公務員)の実態を目撃しました。

 

そして、上杉県令は、沖縄県には近代化に向けた改革が早急に必要である!……と決断し、明治政府に直接、地方吏員の削減と、「旧慣温存政策」の速やかな改革を上申したのです。

 

しかし、明治政府は、「そんなことを言わせるために、アンタを2代沖縄県令に任命したんじゃない!」とばかりに上杉県令を解任し、改革案を次々に潰してしまいました。

 

上杉県令は、2年に満たない在任期間でしたが、県政改革ばかりでなく、将来に向けた人材育成にも手をつけました。「県費留学生」の東京派遣です。

 

のちに、留学生たちは、各業界の中心人物や自由民権運動の先駆者となって、おおいに活躍をしました。例えば、「沖縄銀行」や「琉球新報」の創業者、沖縄初の衆議院議員は、彼らのなかにいます。

 

上杉茂憲は、県令を辞して沖縄を去るときも、多額の教育資金を沖縄県へ寄付し、見送るウチナーンチュを唸らせました。

 

ここまで記せば、大河ドラマをご覧になった皆さんは、次の言葉にうなずいてくださると思います。

 

――上杉家は、沖縄でも、上杉の「義」をかたくなに貫いたのである。
(了)

 

*『ビタミンO!kinawa』のシーズンⅠ(全10話)は、『沖縄発奮物語』です。薩摩侵入(慶長の役)、琉球処分、沖縄戦、27年間に及ぶ米軍統治時代などの「苦境」に立ち向かってきたウチナーンチュ(沖縄人)の志と底力をご紹介します。

 

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沖縄の古い港町には、必ずといってよいほど見事なフクギ並木があります。

 

フクギは、肉厚の丸い葉を、体中に密集させています。これでもか!……というくらいです。この木が防風・防火に優れ、黄色の染料にもなるために、ウチナーンチュはいつしか、福を招く木(フクギ)と尊称するようになりました。原産地がフィリピンであることから、「古琉球」時代に繰り広げた「大交易」の名残りだともいわれます。

 

そのフクギ並木から、ぴょこんと一匹、妙な怪物が飛び出してきました。

 

二本足です。

 

全身、フクギの葉がくっ着いているので、飛び出してこなければ、並木に怪物が潜んでいたとは、だれも気づきません。

 

――宮古島のパーントゥ?……いや、八重山のアカマタ・クロマタかな?

 

よく観察してみると、なんと、ピグモンではありませんか。

 

「おまえ、金チャンのことを考えていたナ?」

 

ピグモンは、こちらへ、テレパシーで言葉を送ってきました。

 

金チャンとは、沖縄出身のシナリオライター・金城哲夫のことです。

 

金城は、『ウルトラQ』全28話のうち13話、『ウルトラマン』全39話のうち15話、『ウルトラセブン』全49話のうち15話の脚本(共作も含む)を担当し、それも、各シリーズとも、第1話と最終話をほとんど手掛けています。まさに『ウルトラ・シリーズ』の生みの親でした。

 

金城は、本土復帰前の1969年に突然、シナリオライターとして順風満帆な東京暮らしを捨て、故郷の沖縄へ帰ってきました。

 

「金チャンは、こう言ってたナ。そのまま東京にとどまっていれば、本土復帰運動のバスに乗り遅れてしまう。ボクは、ウチナーンチュとして、自分の目で返還に至る動きを見つめたかったんだ、と。
帰ってきてから、金チャンはずーっと、東京での活躍を人に話さなかった。金チャンはナ、もう『怪獣作家』じゃなく、『直木賞作家』なんて呼ばれるようになりたかったんだヨ。ウルトラマンを卒業して、沖縄を舞台にした、みんながビックリするような映画やドラマや小説を創りたかったんだ。
だから、当時のウチナーンチュはサ、ウルトラマンのことは知ってても、突然ラジオに現れた男が何者か、ほとんど知らなかったんだヨ」

 

ピグモンは、そこで、テレパシーの発信を休み、大きな目で、こちらの様子をしばらく見守りました。

 

「そうなんだナ。金チャンは、沖縄に帰ってきてから、ラジオ・キャスターの仕事をしてた。おしゃべりが上手だから、たちまち人気者になったんだ。
だが、だんだん、沖縄はこうあるべき!……と、あまりにも正直に思いを吐露するようになっていった。自衛隊の沖縄配備を認めるようなコメントとかナ。それで、とうとう、番組の営業担当から、アンタは政治的に過激すぎる!……っていうクレームがつき、結局、降番する羽目になってしまったんだ。
いま思えば、ストレスが、溜まりに溜まっていたんだヨ。
金チャンを苛立たせたのは、一部のリスナーや営業担当からの批判ばかりじゃなかった。沖縄を舞台にした金チャンの作品の反応が、期待したほど、良くなかったんだヨ。その頃の沖縄は、金チャンのセンスにまだついていけなかったんだナ。
沖縄の、演劇界の馴れ合い体質にも、ずいぶん不満を募らせてた。沖縄芝居の脚本を書いてあげてもギャラを支払わないし、稽古を始めようとしても、役者がちゃんと集まってない。リハーサルをやろうにも、道具がそろわない……。
苛立ちはどんどん、飲む酒の量に比例していったんだヨ。ついには、酒に、依存するようになってしまった」

 

ピグモンは、大きな口からため息を吐きました。

 

「オレが、金チャンの死を聞いたとき、自殺しちゃったかナ、と思ったヨ。真相は、酔っぱらって、書斎がある二階から足を滑らせ、転落してしまったようだが……」

 

ピグモンは、いつのまにか、大きな目に、涙をいっぱい溜めています。

 

「でもなぁ……。金チャンは、そんな辛い時期に、すっごい仕事をしたんだゾ。沖縄海洋博の閉会式の演出サ!
式典の最後は、エキスポ旗、日章旗、沖縄県旗が、音楽にあわせて一緒に降ろされていくはずだった。
ところが、沖縄県旗だけが、なぜか、降ろされないわけサ。それこそ、金チャンの演出!
観衆は、変だぞ?……と初めは思い、やがて、気づくわけサ、沖縄県旗が毅然として降りるのを拒み、式場に独り、はためきながら残っている理由を!
本土復帰を果たした沖縄県の旗が、『自分たちはこれから、自立を目指して頑張るぞ!』って宣言してるんだ!……ってナ。
金チャンほど、ふるさと沖縄に、深い愛情を注いでいたヤツはいない。金チャンが創った、オレたち怪獣が一番よく知っている。
おまえなら、もしかしたら、分かってくれるかナ?……と思って、話し掛けてみた」

 

ピグモンは、そこまで言うと、身を翻して、フクギ並木へ消えました。

 

目をいくら擦っても、フクギの枝葉ばかりで、怪物の姿はみつかりません。

 

白昼夢を見てしまったのでしょうか。

 

いやいや、そうではありません。ピグモンの立っていた所が濡れています。跳ねた途端にこぼれた、大粒の涙です。
(了)

 

*『ビタミンO!kinawa』のシーズンⅠ(全10話)は、『沖縄発奮物語』です。薩摩侵入(慶長の役)、琉球処分、沖縄戦、27年間に及ぶ米軍統治時代などの「苦境」に立ち向かってきたウチナーンチュ(沖縄人)の志と底力をご紹介します。

 

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読むビタミン剤・第6錠 牡蠣は「おいしゅうございます」

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C・W・ニコルの小説『冒険家の食卓』に、カナダの海岸が登場する場面があります。その海岸には、野生のカキ(牡蠣)がたくさん繁殖しています。

 

そして、こんなセリフが続きます。

 

「このカキは、日本人がその昔、運んできたものだってサ」

 

その、運んできた日本人こそ、戦前、沖縄県大宜味村から北米へ渡り、「海の農業」を志すようになった故・宮城新昌です。

 

バンクーバーへ行きますと、メニューに、「太平洋ガキ」を「ミヤギ・オイスター」と記しているレストランもあるそうです。

 

カナダから帰国した宮城は、1920年代に「垂下式」という革命的なカキの養殖法を発明しました。それを、国内ばかりでなく世界中に普及させたことから、「世界のカキ王」と尊称されています。

 

それまでのカキの養殖法は、「地播き式」でした。つまり、種ガキを浅瀬にばらまいて成育を待ったのです。しかし、種ガキが泥に埋もれたり、温度など海水の変化に左右されて、安定した収穫が期待できませんでした。

 

そこで、宮城は、発想を、水平から垂直へ大胆に転換させました。

 

それは、水面に浮かべた筏から、種ガキを挟んだロープを吊し、成育させるというアイデアでした。

 

それならば、種ガキが泥に埋もれることはなく、潮流や水温などの変化にあわせて、筏の位置を変えられます。

 

そうは言っても、実用化に向けて、試行錯誤の日々が続きました。

 

寝食を忘れて取り組んだ宮城は、夜中に突然起き出し、障子の桟を数えだして、

 

「この高さか?……こちらか?」

 

などと口走り、夫人に、気が変になってしまったのではないか?……と、ハラハラさせたエピソードが語り継がれています。

 

宮城が「世界のカキ王」と讃えられる理由のひとつは、「垂下式」の特許をとらず、だれもが使えるように広めたことです。

 

カキは、「海のミルク」といわれるほどタンパク質やミネラルに富んでいます。特に、即効性のエネルギー源であるグリコーゲンをたっぷり含んでいます。

 

ちなみに、「ひとつぶ300メートル」のキャッチフレーズで有名な大手菓子メーカーのグリコは、そのグリコーゲンから、社名をつけました。

 

宮城が「垂下式」の開発に没頭した1920年代を振り返ってみますと、沖縄は「ソテツ地獄」と呼ばれる極度の貧困に見舞われていました。

 

沖縄ばかりではありません。日本各地でも、農村部から恐慌の餌食になり、欠食児童や子供の身売りが横行していました。

 

全身全霊を掛けて「垂下式」の開発に取り組んだ宮城の胸中には、わがことのように他人の苦しみを共有するチムグクルが働いていました。

 

宮城の娘のひとり、「おいしゅうございます」のコメントで人気の食生活ジャーナリスト(人気テレビ番組『料理の鉄人』の審査員)の岸朝子さんは、父親の遺した言葉を心に深くとどめています。

 

「父は生前、こう言っていました。豆腐を、だれがつくり始めたのか、みんな、知らないだろ? カキも、それでいいんだよ。滋養のあるカキを、豆腐のように、安く、手軽に食べられるようにしたいんだ、と」

 

宮城の業績を称えた顕彰碑は、故郷・沖縄から遠く離れた石巻市萩浜に建っています。

 

それは、カキの名産地のひとつである宮城県が、県政100年の記念事業として建立したものです。
(了)

 

*『ビタミンO!kinawa』のシーズンⅠ(全10話)は、『沖縄発奮物語』です。薩摩侵入(慶長の役)、琉球処分、沖縄戦、27年間に及ぶ米軍統治時代などの「苦境」に立ち向かってきたウチナーンチュ(沖縄人)の志と底力をご紹介します。

 

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