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第4回 織田信長がグスクを見たら

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投稿日:

R大学の学生たちが東京へ帰ってから、1カ月後のことだ。

 

マスターが、パーソナリティーを務めている地元コミュニティーFM局の早朝ラジオ番組を終えて店に戻ってくると、軽やかなハミングが聞こえた。

 

カコちゃんが、さきほどラジオ番組で流した「ヒア ゼア アンド エブリウエア」を口ずさみながら、海に面している観音開きの窓をひとつひとつ丁寧に拭いていたのだ。

 

きょうは珍しくジーンズ姿で、お尻から長い脚に掛けてのシルエットは、恐らく彼女のご自慢に違いないなかった。

 

カコちゃんはマスターに気づくと、いつもの、透明感のある笑顔を向けた。

 

「おはようございます!……お手紙が届いてますよ」

 

カウンターの隅に置かれてある封書は、宛名がマスターとカコちゃんで、裏には女性の名前があった。

 

「あのときの、学生さんじゃないかしら」

 

カコちゃんがうれしそうに呟いた。

 

「女子学生は、3人いたよね。……どの人だろう」

 

封を切ると、便箋1枚、A4のコピー数枚が現れた。

 

便箋の文字は、清々しい女文字で、
「いまどき、こんな字を書く女子学生がいるんだ……」
と、マスターを感嘆させた。

 

 

「沖縄集中講座」でお邪魔したときには、たいへんお世話になりました。ありがとうございました。
沖縄については、ある程度事前学習してきたつもりでしたが、実際に訪問してみると、イメージとだいぶ違うように感じました。
あの大海原を前に、マスターからいろいろなお話を聞かせてもらって、もっと深く沖縄を知りたくなりました。
同封したのは、今回の「沖縄集中講座」の第2回レポートです。
思い切って、短編小説(それも時代小説です)にして提出しました。
この手紙が届く頃、実は、沖縄を再び訪問しているはずです。
またお邪魔しますので、そのとき、ご感想を聞かせてもらえるとうれしいです。
では、カコちゃんにもよろしくお伝えくださいませ。(あの焼き立てのクッキー、また食べたいなぁ!)
では、失礼します。

 

 

「あのきれいな学生さんじゃないかしら」

 

「私もそう思った。……松原智恵子に似てたね」

 

「まつばら、ちえこ?」

 

 

天正四(一五七六)年、織田信長は琵琶湖畔に安土城を築き始めた。高い石垣で丘を累々と覆ってしまう天下無双の大城郭が完成したのは、それから四年後。のちの大坂城・姫路城などに系譜が連なる近世城郭の原点である。
それまでの中世の城は、深い堀を掘り、その土で高い土塁をつくる山城が主流だった。ところが信長は、常備軍化した軍勢を収容するために狭い山城を出て、平地に広大な大本営を出現させなければならなかった。そこで、高い石垣を多用し、本丸に荘厳な天守を築き、周辺に城下町をつくるという人工的な山城を造りあげてみせたのである。
築城の宴で信長は、家臣から絶賛の祝辞を受け、冷徹な合理主義者と評される男にしては珍しく、満悦の笑みを終始浮かべていた。家臣どもはことに、石材を使った城壁の迫力に度肝を抜かれていた。
「六角氏の観音寺城も石垣をめぐらせたが、いやいや、格がまるで違うわい」
「穴太(あのう)衆とやらに普請させたらしい。比叡山麓の石工たちだそうだが、さすがに上様じゃ。われらの思いも及ばぬ者どもに目をつけなさる」
「わが城も、このような城壁が欲しいものよ。石工を一人二人、もらい受けて帰るか」
信長は、家臣たちが交わす話を、目を細めて聞いていた。
その夜。信長の夢枕に、奇妙な老人が立った。白髪で白装束。なんとも柔和な笑みを浮かべている。
信長は半身を起こした。
「おぬしは?」
「築城の祝いに、ひとつ、沖縄の珍しい城などをお見せしようと馳(は)せ参じた」
「おきなわ……だと?」
老人はこっくりうなずくと、傍らの杖を握り直した。
「さっそく参りますぞ」
さすがに慌てた信長は、宿直(とのい)の小姓を呼ぼうとしたが、その間もなく一筋の光に化していた。信長は一瞬、清冽な海に眠る虹色の珊瑚環礁をはるか上空から見下ろした。
我に帰った信長の眼前に広がっていたのは、今帰仁城の城壁だった。長蛇のように延々とくねっている。
「なんと壮観な!……この城は、いったい」
信長は、傍らに立つ老人に思わず顔を向けた。
「この城壁はのう。安土城より百年……いや、二百年あまりも昔に築かれた」
「な、なにっ。わが城より、それほどの昔に築いたと申すか」
信長は絶句した。
「この地はの、このような城壁なぞ珍しくない。……ほれ、あの郭には版築(はんちく)という普請が施されておるぞ。地面を堅く締め、重き建物に耐え得るようにした」
「すると、大明国……いや、元の者か。この城の主は」
「沖縄はの、黒潮の民が主じゃ。だが、大海の十字路にあるがために、博多・防津の海商ども、熊野水軍、蒙古に追われし南宋人なども立ち寄り、ときに吹き溜まった。南走平家や南朝方の敗残兵までもな。そんな歳月のなかで、按司(あじ)と呼ばれる長(おさ)が現れ、このような城壁ができたのじゃ」
そして老人は、再び杖を握った。
信長はまた一筋の光になった。
二つの光は、あざなえる縄のごとく絡み合いながら、石造のアーチ門(座喜味城)をくぐった後、首里界隈の上空を旋回し、やがて、鋭角な三角形の洞門(斎場御嶽)を抜けた。すると、島影(久高島)が現れた。光はその島をしばらく目指したが急に左旋回し、海面すれすれを爆走すると、屏風(びょうぶ)のようにそびえ立つ城壁(勝連城)を乗り越え、次に現れた城壁(中城城)に激突した。
信長がようやく意識を取り戻し、やっと立ち上がったとき、右の手のひらが何かを握っていた。ゆっくり広げてみると、さびた球状の金属と、ほぼ同じ大きさの石球が乗っている。
しばらくそれを見つめていた信長は、
「よもや、これは!」
老人がうなずいた。
「種子島に鉄砲が入る(一五四三年)より昔、この地にはヒヤー(火矢)と呼ばれた火器があった。この中城の城は、足利義政公が将軍の頃(一四五八年)、壮絶なイクサがあっての。その弾丸は、そのときのものかもしれぬ。三段入れ替わり一斉射撃法……の信長殿には笑われそうな、つたなき火器ではあったがの。ほれ、あの狭間をご覧なされ。あそこから撃ったようじゃ」
「それよりも、ご老人……」
「なんじゃな」
「あれはなんであろう。さきの城にもあったようじゃが……」
「おう。よいところに気づかれたのう。さきほどからわしは城と度々口にしてきたが、この地ではグスクと呼んでおる。城との違いは、信長殿の気づかれたものが有るか無しか……じゃ。あれはの、御嶽(うたき)といって、黒潮の民の聖なる空間じゃ。グスクには必ずといってよいほどある。いや、むしろ、こう言い換えたほうがよいかもしれぬ。聖なる空間がいつしか鎧(よろい)をまとうようになった……と。しかし、鎧を着けても、祈りの場は生きておる。お国の城との違い、お分かりいただけたか」
「御嶽とやらで、何を祈る」
「美しい貝を愛する、黒潮の民の祈りじゃ。察せられぬかの」
「…………」
「紺碧の大海原を思い起こされよ。そして、胸の奥底にある心の器を大きく広げてみよ。……ご先祖様への感謝、大自然がもたらす恵みへの感謝、そうしたものが涌いてこぬか。黒潮の民の祈り、それはつまり、平和への祈りじゃよ」
「笑止!……そんな城ではイクサに勝てぬ。甘いぞ。国は滅びる」
信長は鼻先で笑ったものの、すぐに真顔に戻り、改めて老人に尋ねた。
「おぬしはもしや、この御嶽を見せたくて、わざわざ案内したのではないか」
老人は、晴れ晴れと笑った。
「ご老人。おぬしは一体、何者じゃ。どこからきた」
しかし、みるみるうちに老人の姿は霧のように薄くなっていった。老人は何かを答えたが、信長にはもはや、聞き取りにくくなっている。
「いま、何と申した、えっ?……何と申したのじゃ?」
次の瞬間、信長の正室・斎藤道三の娘が、心配そうに寝床の主人を覗き込んでいた。
その目元に陰気な隈が浮かび上がっているのを、信長はすぐに見止めた。
〈……そういえば、比叡山の焼き討ち以来、この女は、わしを避けておる〉
そのとき、正室のぷくりとした唇が動いた。
「奇妙な寝言を。……ニライカナイから来た、などと」

 

 

「びっくり。……だいぶ、グスクにハマっちゃったみたい」

 

コピー紙を畳みながら、カコちゃんが感想を言った。

 

「史学科の学生さんだったのかな」

 

マスターもうれしそうに呟いた。

 

「城壁って、安土城ができるまで、ヤマト(日本)にはなかったんですか?」

 

彼女が真顔を向けた。

 

「いや、中世までは目立たなかったんだ。土塁が中心だったからね。……昔、取材の合間に、太宰府(福岡県)の水城(みずき)を見に行ったことがあるんだけど、現地で、土地の歴史家に、大野城にはグスクみたいなのがあるよ……って言われてね。さっそく出掛けたよ」

 

「ほんとうにあったんですか?」

 

マスターはうなずいた。

 

「西鉄太宰府駅からタクシーを使って、山道をグルグル登ってね。そのまま手つかずの状態で一部が残っていて、たしかにグスクに似てたなぁ。その石塁は、土塁の水城を含む、一連の遠大な軍事防壁だったんだ。日本版の〈万里の長城〉とでもいうか。新羅は必ず攻めてくる!……という、中大兄皇子(天智天皇)や中臣鎌足(藤原鎌足)の、緊迫した危機感が伝わってきたよ」

 

「中大兄皇子っていうと、大化改新(645年)じゃないですか。……沖縄のグスクより、600年も大昔……」

 

「ヤマトの石塁技術は、近世に城壁ブームが起きるまで、寺院建築のなかで眠ってたようだよ。穴太衆も、そもそも、比叡山と関わりのある人たちだったそうだからね」

 

その翌日。

 

『純喫茶うちなーたいむ』に、時代短編小説を送った女子学生が一人で現れた。

 

松原智恵子似ではなく、浜崎あゆみ似の学生で、カコちゃんは思わず、笑顔をマスターに向けた。

 

(続く)

 

*写真は、今帰仁グスク。クリックすると拡大します。

 

*下記の【関連リンク】は、太宰府・大野城に残る約1300年前の古代の城壁。沖縄のグスクを連想させます。ぜひクリックしてみてください。

 

*『沖縄史を語るカフェへようこそ~純喫茶うちなーたいむ』は、立教大学の「沖縄集中講座」の参考資料として企画したものです。内容は異なりますが、地元日刊紙が05年に発刊した別刷特別号(タブロイド判)の、いわば《原本》にもあたります。第1稿が完結して歳月がだいぶ経過していますので、現在に即してリライトし、ヨ~ンナ~(ぼちぼち)連載していきます。



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第3回 グスクは城か

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数日後。

 

グスクめぐりを終えた5人の学生たちがまた、『純喫茶うちなーたいむ』に姿を現した。

 

「こっち(沖縄)では、〈城〉という字をグスクって読んでますけど、グスクって、そもそも語源は何なんですか?」

 

ヨン様崩れが、コーヒーを入れ終えたマスターにさっそく質問した。

 

「いろいろな説があります。私は、グスクの〈スク〉が、古代日本の〈磯城(しき)〉……つまり、聖域のことなんですが、この〈磯城〉の音韻変化語ではないか……という仲松弥秀氏(文化地理学者)の説に興味があります。〈グ〉は、〈御〉という冠が、やはり音韻変化したものかもしれません」

 

「でも、聖域というより、敵から守るための城塞みたいだったけど……」

 

ヨン様崩れが畳み掛けると、浜崎あゆみ似が、
「日本のお城と、だいぶ違う感じ……」
独り言のような感想を重ねた。

 

みんなグスク見物をして気分が高揚しているのか、松原智恵子を連想させる女子学生も、つられるように唇を開いた。

 

「座喜味グスク、それに勝連グスクでも感じたんですけど……。城壁に、南ヨーロッパの匂いがするような気がしました。どうしてなんでしょう」

 

マスターは、微笑んだ。

 

「たしかに、城壁の曲線は、グスク独特の魅力ですよね。南ヨーロッパの影響までは聞いたことがありませんが、城壁やアーチ門は、中国大陸や朝鮮半島の影響を明らかに受けているそうです。しかし、日本の山城の影響が、初期のグスクには見られるんです」

 

「どんなところにですか?」

 

ヨン様崩れが、お気に入りの表情なのだろうか、眉間にまた皺を寄せた。

 

「日本中世の山城と同じ《堀切(空堀)》が、国頭グスクや名護グスクなど、初期に造られたグスクで発見されているんですよ。そのことからも、クルスの反流や季節風を利用して南下してきた人々、それも、武装していたであろう人々の姿が浮かび上がってきます。なかには、初期のグスクを造ったのは、源平合戦で敗れた《南走平家》ではないか……という推察もあるんですよ」

 

長与千種のような立派な体躯の女子学生が、一瞬姿勢を正して口を開いた。

 

「すると、グスクは、九州から来た武士たちの影響が先にあって、そのあとに中国や朝鮮の影響を受けた……っていうことですか?」

 

マスターは少し目線を落とすと、すぐに元に戻して口を開いた。

 

「さきほどの語源とも関わるんですが、それ以前にも、物語があるようです。グスクはそもそも聖域だった……という根強い説があるんですよ。首里城にしろ、中城城にしろ、ウタキ(御嶽=聖域)があったでしょう。日本の城には、ありませんよね?」

 

学生たちは顔を見合わせ、そういえば……という声が漏れた。

 

「興味深い古文書が、久米島に残っていましてね。それを読むと、海からやってきた武装勢力を、土着のゴロ(リーダー)やノロ(神女)たちは、意外にもあっさりと受け入れています。圧倒的な武力を前にしたからでしょう。そして、要塞をつくりたがる武装勢力に、聖域のある場所を候補地に推薦さえしているのです。このエピソードは、いろいろな解釈ができて面白いのですが、望ましい立地条件という面で、聖域と要塞は案外、同じなのかもしれません」

 

「ごめんなさい。整理したいんですが」

 

ジャーナリスト志望だという蟹青年が、手刀を切るようなポーズをした。

 

「……じゃあ、グスクは、先に居着いていた民と、南下してきた武士のような人々と、中国や朝鮮などの影響を受けてできた……って、考えられるわけですね?」

 

マスターはうなずいた。

 

「ですから、グスクは、まるでウチナーンチュみたいなんです。文化的に重層的で、ユニークなんです。ユネスコの世界遺産に登録されたのは当然!……なんて自慢したら、いけませんか」

 

花が咲いたように、学生たちから笑みが漏れた。

 

そのなかでも一層大輪の、松原智恵子を彷彿とさせる女子学生が唇を開いた。

 

「クルスの民は、黒潮がいまのような流れになった頃、日本本土にもたどり着いているんでしょ?……さきほどおっしゃった〈スク〉も、〈磯城〉も、クルスの民の言葉かもしれませんね」

 

長与千種のような体格の女子学生も、身を乗り出した。

 

「大昔の日本も、沖縄に似てるんじゃないかな!……縄文人が居着いて、弥生人がやってきて、帰化人が大きな影響を与えて」

 

そのとき、ウエイトレスのカコちゃんが、香ばしい匂いとともに、焼き立てのクッキーを携えて現れた。

 

「だぁ~い好き、あのクッキー!」
「沖縄のハーブが入っているんじゃない?」
「土産品にしたら、ゼッタイ売れますよ!」

 

賛辞の声が、学生たちから挙がった。

 

(続く)

 

*写真は、今帰仁城跡。琉球統一を果たした尚巴志によって1416年に滅ぼされた北山王国の居城。石塁が築かれる以前、柵列で囲まれていたことが本郭調査で分かっている。(撮影・鈴木) クリックすると拡大します。

 

*『沖縄史を語るカフェへようこそ~純喫茶うちなーたいむ』は、立教大学の「沖縄集中講座」の参考資料として企画したものです。内容は異なりますが、地元日刊紙が05年に発刊した別刷特別号(タブロイド判)の、いわば《原本》にもあたります。第1稿が完結して歳月がだいぶ経過していますので、現在に即してリライトし、ヨ~ンナ~(ぼちぼち)連載していきます。



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第2回 父親は黒潮反流に乗って

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マスターは、蟹青年の質問にうなずき、窓外の大海へ目を向けた。

 

「黒潮は、本流ばかりでなく、反流という流れもあるんですよ。反流は、まるで九州にぶつかって弾き返されるような流れ方をしています」

 

マスターの目線につられて、学生たちも、再び大海原をみつめた。

 

「……北上して沖縄に根付いたクルスの民は、やはりクルスの反流を利用して南下してきた民と交わったようです。もちろん、後年、中国大陸などからやってきた人たちの存在も、決して忘れてはなりません」

 

「要するに、その混血が、沖縄の人たちのルーツなんですか?」

 

蟹青年がまた尋ねた。

 

「考古学者と形質人類学者が対談した本(『沖縄人はどこから来たか』安里進・土肥直美共著、ボーダーインク刊)によりますと、いわゆる〈グスク時代〉(12世紀中期~15世紀初頭)前後から、現在のウチナーンチュと比べて似通った形質の人骨を見いだせるそうです。それ以前の時代の人骨と比べると、体型が際立って大きくなっているとか。しかも、爆発的に人口が増大した……と、その本は、重要なことを指摘しています。……それから、これは、先史学の研究者が出版した本ですが」

 

と、言い掛けて、マスターは一冊の本を皆に掲げてみせた。
題名は『島の先史学』(ボーダーインク刊)。著者は高宮広土氏(人類学博士)。

 

「この本も、大多数の現代沖縄人の祖先は8/9~10世紀、あるいは10~12世紀に《植民》してきた人々であった……という仮説をじっくり説いています。彼らはおそらく九州から来たのではないか……とも」

 

「でも、わざわざ南下してきた人たち、何が目的だったんだろ」

 

いままで発言をしなかった、長与千種のような立派な体躯の女子学生が口を開いた。

 

「ベースにあったのは、交易ですね。沖縄近海で採れる貝は、ヤマト(本土)の支配者層の装身具(ゴボウラ・イモガイなど)や、漆器の螺鈿細工(夜光貝)に欠かせない資材として珍重されたんですよ。交易ルートは、北海道まで実に2千キロ。交易が続いていた時代は、弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安……。逆に、沖縄側はこの間、長崎産の滑石を刳りぬいた鍋や、徳之島のカムイ焼などを得ていたようです」

 

「思い出したわ。それ、〈貝の道〉っていいません?」

 

シニア世代には懐かしい松原智恵子を彷彿とさせる女子学生が、初めて唇を開いた。

 

マスターは、大きくうなずくと、
「しかし、大きな疑問があるんです」
と、切り出した。

 

「沖縄では、農耕が、ある日突然始まったかのような気配なんですよ」

 

「どういうことですか?」

 

ヨン様崩れが、眉間に皺を寄せて尋ねた。

 

「ある時期、かなりまとまった農耕民の《植民》があったようなのです。
そのなかには、安住の地を求めた集団もあったはずだ……なんていう推察も、以前からあるんですよ」

 

「安住の地を求めた?……どんな集団なの?」

 

浜崎あゆみ似が口を開いた。

 

「〈源平の合戦〉や〈南北朝の対立〉などの、日本全体を揺るがす大動乱によって、はみ出されてきた人々……だそうです。ウチナーグチ(沖縄方言)に〈院政時代〉の言葉の色彩が濃厚なのは、かなりまとまった数の移住者が身に帯びて来たとしか考えられない……という意見(『院政貴族語と文化の南漸』奥里将建著・三協社刊)もあります。
たしかに、1609年の〈薩摩侵入〉以前でも、王国の辞令書や、沖縄最古の歌謡集(『おもろさうし』第1巻)は、漢字交じりの平仮名ですからね。一体、だれが、言葉や文字を伝えたんでしょうか」

 

松原智恵子を連想させる女子学生が、クリスチャンの祈りのように両手を組んだ。

 

「沖縄の方言と京都の古い言葉に、共通点がある……なんて話を聞いたことがあるわ。だれも知らない〈大河ドラマ〉が眠っているかもしれませんね」

 

「ですから、ウチナーグチには、あの黒潮に乗って北上してきた民の言葉と、黒潮反流や季節風に頼って南下してきた人々の言葉が、いずれも潜んでいる可能性があるんですよ」

 

「だとすれば、言葉の正倉院だ」

 

長与千種のような風貌の女子学生が、男言葉で断定した。

 

「たしか、皆さん、グスクめぐりをこれからなさるんでしたよね」

 

マスターの問い掛けに、全員がうなずいた。

 

「言葉や農耕もそうなんですが、北上と南下、そして周辺地域との接触という点で、グスクはとても注目されているんです。グスクは、12世紀の中期あたりから、雨上がりのキノコのように発生したようなんですが……」

 

と、言い掛けて、マスターは自ら話の腰を折った。

 

「……まずは、百聞は一見に如(し)かず。グスクめぐりをなさって、もしお時間があったら、どうぞまた、いらしてください。そのとき、話の続きをさせてもらいましょう」

 

学生たちはその後、カコちゃんが差し入れた手作りクッキーをおいしそうに頬張りながら、しばし歓談し、やがて席を立った。

 

帰りがけ、
「あのう、マスター」
蟹青年が振り返った。
そして、遠慮がちにこう呟いた。

 

「ウチの教授からチラリと聞いたんですけど、マスターって昔、記者だったんですか?……自分、ジャーナリスト志望なんです」

 

マスターは、苦笑し、言葉を濁すばかりだった。

 

「……それともうひとつ。『純喫茶』って、やっぱ、古くないですか?」

 

意表をつかれたマスターに替わってカコちゃんが、チャングム(イ・ヨンエが演じた韓国TVドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の主人公)
のような笑顔で応えた。

 

「マスターが青春時代、たまり場にしてたのが『純喫茶』だったんですって。サテン……って、呼んでたそうよ」

 

「へ~え、サテン」
(続く)

 

*『沖縄史を語るカフェへようこそ~純喫茶うちなーたいむ』は、立教大学の「沖縄集中講座」の参考資料として企画したものです。内容は異なりますが、地元日刊紙が05年に発刊した別刷特別号(タブロイド判)の、いわば《原本》にもあたります。第1稿が完結して歳月がだいぶ経過していますので、現在に即してリライトし、ヨ~ンナ~(ぼちぼち)連載していきます。



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