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しばらくお待ちを!当分『プロフィール』のみ掲載

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「ウチナータイムス」へ訪問してくださったみなさま。

 

たいへん申し訳ありませんが、当HPは、「写真が載らなくなってしまった!」など、制作上のトラブルが生じております。

 

リニュアルが遅れております。
とうぶん、『プロフィール』のみ更新してまいります。
もうしばらくお時間を!
この際なので大胆に新装開店しようか……などと、考え始めております。

 

ごめんなさい!
もうしばらく、お時間を……。

 

_(_^_)_

 

主宰者 鈴木孝史



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センバツ優勝監督・我喜屋優氏をインタビュー

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第82回選抜高校野球大会で、興南高校野球部が全国制覇を果たしました。

 

沖縄県早朝野球協会と我喜屋優野球応援隊は2010年4月10日、同協会発足以来19年間にわたって顧問を務めている我喜屋優氏(興南高校野球部監督)のセンバツ優勝報告会をJA真和志で開きました。

 

同協会・同応援隊とも「広報」を担当している私は、その優勝報告会で、司会ならびに我喜屋氏への代表インタビューを務めました。

 

代表インタビューのもよう(一部)は、沖縄県版『日刊スポーツ』(同年4月21日付・沖縄タイムス社発行)に掲載されます。

 

代表インタビューの要旨は、下記の通りです。

 

沖縄県早朝野球協会ならびに我喜屋優野球応援隊の「広報」活動の一環として掲載します。

 

 

――センバツでは、打てないイメージのあった興南ナインがよく打ち、エラーをしても、それに引きずられずに常に積極的でした。その姿を見て県民は大いに感動しました。そのような選手に育て上げることができた秘訣は?

 

我喜屋 昨年秋の九州大会は、ベスト4止まりで帰ってきました。その準決勝では、県予選をノーエラーできたチームがミスを重ね、打線もそれにつられて焦り、ゲームのリズムを失ってしまいました。これが、反省という大きな土産になりました。
つまり、「あのエラーは、自分たちの力を過信して練習を怠った結果である。しかし、あの点差からいうと、エラーだけのせいではない。打ち勝つ力がないと、センバツの切符を正式に受けとっても、出場校と肩を並べて戦えない」という反省です。
沖縄に帰ってきてからセンバツ出場が正式に決まるまで、その反省に基づき、メリハリの利いた練習を重ね、反省を繰り返しました。その結果、スイングは1日1000本近くになりましたし、個人ノックも最低50本になりました。走塁についても「このままではダメだ。新しく生まれ変わらなくてはダメだ」というテーマを与えました。
センバツ出場が正式に決まった頃、チームのレベルは全国並みに届き、大会までの微調整のなかで選手たちに、ミスをプラスに替える、いわば精神コントロールのテーマを与えました。
つまり、「試合では当然、エラーがある。かといって、失敗して悲しんだり、ガッカリしているヒマなんかない。逆に、ホームランを打っても喜んでいるヒマはない。試合の結果は、最終回が終わるまで出ない。最後まで、その気持ちを忘れるな」と。
このように、九州大会の反省のなかから生まれ、選手たちの身になったものが、今回のセンバツで活きたと思います。

 

――ミスをプラスに替える精神コントロールがまさに「身になった」選手たちを見て、県民や高校野球ファンは感心しました。

 

我喜屋 勝負の世界は、野球に限らず、社会や人生においても、嫌なことや辛いことに慣れるのが肝要です。つまり、抵抗力を身につけることなのです。いろいろな嫌なことに抵抗力がつけば、世の中を渡っていけるのです。逆境に負けたり、挫折するのは、抵抗力が足りないからです。
野球は人生の縮図です。1回から9回の間には、良いこともあれば悪いこともある。悪いことがあったとき、瞬間的に「くそっ!」というバネに置き換えられれば、悪いことがプラス材料になるのです。
選手たちには、「厳しい練習のなかで苦しい思いをあれだけしてきたじゃないか。その逆境に打ち勝って、いまここにいる。エラーは試合につきもの。逆に、失敗は成功のもと。エラーをしても、良いことをしちゃったな!…くらいに思えばいいんだよ」と言ってきました。もちろん、エラーを繰り返してはいけませんよ(笑)。
ある選手が試合でエラーをしても、「OK!大丈夫だ、気にするな!」とチームメイトが声を掛ければ、その瞬間に、チームワークがより結束します。厳しい練習に耐え抜いてきた者同士ですから。
このように、選手たちが自分たちで逆境を順境に替えたことは、今回のセンバツで、ウチがひとつ成長した一面でした。

 

――優勝した翌日、『琉球新報』の記事に、こんな記述がありました。「……チームを引っ張ってきた我如古主将は『今朝、散歩したら桜が満開だった。チームが勝ち進むのと桜が開花が同じように進んだ』と、全国の頂点に立ったチームの成長に感無量の様子だった」。この記事を読んで、決勝という大舞台を前に、選手たちが朝の散歩をしていたのも驚きでしたが、桜の満開前線と自分たちのVロードを重ねて、俳句を詠むような感性の光らせ方をしているのにもっと驚きました。聞くところによりますと、監督は、選手たちに朝の散歩を日課として義務づけているとか。感性を磨くことと、野球が強くなることは重なるのですか?

 

我喜屋 私が監督を引き受けたとき、選手たちは、眠らない、起きられない、食べられない、整理整頓ができない、しつけがなってない……という状態でした。
これは、野球をやる以前の問題。そこで、24時間をきちんと有効活用するために朝の散歩を義務づけ、毎朝、抜き打ちで1分間、散歩で感じたことを言わせるようにしました。選手たちは次第に、朝の散歩で4感を磨くようになり、朝食をおいしく食べて、5感をしっかり取り戻すのが当たり前になりました。
すると、第6感、すなわち予想する能力が働くのです。野球についていえば、グラウンドで相手が何をやってくるか予想する能力ですね。5感が磨かれていない人や、経験のない人に、第6感は決して働きません。

 

――35年前のセンバツで〈豊見城旋風〉を巻き起こした豊見城高校野球部の主将・浜川太さんが、甲子園球児は、活躍した者ほど自ら落とし穴を掘ってしまう。周りからヒーロー扱いされるのでつい、天狗になったり、相手をなめてしまうからだ…とあるインタビューに答えていましたが、夏の甲子園大会に向けて、どんなアドバイスを選手たちにしていますか?

 

我喜屋 甲子園を去るとき、選手たちにこう言いました。「桜の花はすぐに散ってしまう。次は、また花を咲かせることができるかどうかだ。そのためには、根をしっかりさせなければならない。根がしっかりすると幹が太くなり、新しい花が咲く。優勝に伴う華々しい気分はもう終わりだ。沖縄へ帰ったら、根っこづくりに入ろう」。
根っこづくりというのは、チームづくり、練習です。ところが、那覇空港へ帰ってきましたら、報道の通りの大祝福でした。野球部の寮はしばらく、センバツで活躍したシーンを伸ばした写真とお祝いの花だらけでした。
しかし、先日、選手たちが寮母に「写真や花をはずしていいですか」と申し出たそうです。彼らの気持ちはすでに切り替わっています。

 

 

興南高校野球部は今後、県内での交流試合ばかりでなく、北海道から鹿児島まで招待試合を重ね、6月から始まる夏の甲子園予選に向けて備えるそうです。

 

*弊社ホームページは故障のため、写真データを掲載できなくなってしまいました。文字データのみの発信が当分続きます。しばらくお待ち下さい。 _(_^_)_

 

◆サイト内の文章・画像等は、すべて無断転載を禁じます。



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《豊見城旋風》の立役者をインタビュー

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第82回選抜高校野球大会(センバツ)が現在、甲子園球場を舞台に繰り広げられています。今大会は、沖縄県から史上初めて、興南高校と嘉手納高校の2校が出場しています。

 

その最中に、『会報・那覇法人会』が発行されました。その巻頭ページには、1975年(本土復帰3年後)の第47回センバツで《豊見城旋風》を巻き起こした豊見城高校野球部の主将・浜川太さんを私がインタビューした記事が載っています。

 

リードは、「連載インタビュー『沖縄を語ろう』の第4回ゲストは、1975年の第47回選抜高校野球大会で《豊見城旋風》を巻き起こした豊見城高校野球部の主将で、現在、沖縄県早朝野球協会会長を務めている浜川太さんです。嘉手納高校と興南高校が出場する今年のセンバツを前に、35年前の奮闘、甲子園大会の魅力、両出場校への期待、昔と今の球児たちの比較などを語ってもらいました」。

 

本記は下記の通りです。

 

 

鈴木 35年前のセンバツで、豊見城は大活躍をしました。初戦は、優勝候補の習志野。その強豪に、ノーマークのチームが3対0でシャットアウト勝ちしたのが〈豊見城旋風〉の始まりでした。続く日大山形戦も4対2で堂々と下し、準々決勝に駒を進めました。そこで待ち受けていたのは、原辰徳選手(現・巨人軍監督)ら好打者がずらりと並ぶ東海大相模。その試合で、豊見城は、9回裏の2死まで1対0で勝っていました。バッテリーは、投手が、後に巨人へ入団する赤嶺賢勇さん。そして捕手は、その日4打数2安打の4番打者・浜川さんでした。

 

浜川 3番打者の原辰徳選手を3球三振に仕留めて2死にしたとき、スタンドから響いてくるコールが「あと2人!」から「あと1人!」に替わったのを覚えています。ランナーがいませんでしたから、「勝った」と思いました。ところが、4番打者の津末英明選手(後に日本ハム‐巨人)が、1ストライク1ボールの後、インコースの真っ直ぐを1塁線へヒット。2塁へ猛然と滑り込んで2死2塁にし、結局、同点、逆転、1対2のサヨナラとなってしまいました。

 

鈴木 そのときの気分は?

 

浜川 そりゃあ悔しかったですけど、しょうがないな……という気分でベンチへ引き揚げました。センバツでしたからね。甲子園大会は「夏」こそ本番……という気分がありました。

 

(小見出し)
野球も人生も なめたほうが負け

 

鈴木 ところが、その「夏」の大会に、豊見城は出場できませんでした。

 

浜川 そうなんです。その「夏」で全国制覇したのは、なんと、豊見城がセンバツの1回戦で下した習志野でした。その習志野ナインは、センバツの組み合わせ抽選会で私が「4番」を引いたとき、「やったぁ!」と会場の一角で歓声をあげていました。甲子園球場へ向かう電車でたまたま鉢合わせしたときも、こちらを見る表情には余裕がありました。豊見城をなめていたんでしょう。こちらは発奮したものです。習志野は、センバツでの思わぬ敗戦で大いに反省し、「夏」の制覇へつなげました。ところが、「夏」では、豊見城のほうが、センバツのときの習志野をやってしまったのです。要するに、「ベスト8のチームだ!」とチヤホヤされているうちに天狗になり、相手チームをなめてかかるようになってしまったのです。実際、センバツ後の練習試合は連戦連勝で、負ける気がしませんでした。ところが、「夏」の予選の準決勝で、コザ高校に3対4で敗れてしまったのです。3年生が数人しかいないチームでしたが、発奮し、果敢に挑んできたのです。

 

鈴木 怖いですね。

 

浜川 続きがあります。卒業後、私は、本土で大学時代を過ごし、沖縄へ帰ってきました。そしたら、周りの人たちはチヤホヤしたことなんか忘れている。チヤホヤされたままなのは自分だけ。甲子園球児には、こんな落とし穴があるんです。野球を通じて、いろいろなことを学び、楽しいこともたくさんありましたが、「人生、なめたほうが負け」。これは、私の実感です。

 

(小見出し)
沖縄のチームが強いのは少子化の影響も?

 

鈴木 35年前の豊見城ナインは、後に〈沖水旋風〉も巻き起こす栽弘義監督が率いました。〈栽野球〉は、どこが新しかったのですか?

 

浜川 栽監督によって、中京大学野球部が目指していた「大胆細心」の精神が導入されました。「大胆」というのは、パワートレーニングです。沖縄の高校生は小柄なので、筋力を強化して補いました。「細心」というのは、よく考えて緻密な試合をすること。練習量は、どのチームと比べても負ける気がしませんでしたよ。招待試合もよくありましたので、他府県の実力も分かっていました。その結果、九州大会で県勢として初めてベスト4に残り、センバツ出場を果たしたのです(それまでのセンバツ出場は、いわば復帰特別措置)。栽監督からよく「いままでの沖縄のチームは甲子園へ行くのが目的だったが、おまえたちは甲子園で勝てるよ!」と励まされたものです。

 

鈴木 〈栽野球〉以降、「沖縄のチームは強い」と言われるようになりました。実際、今年のセンバツは、興南と嘉手納の2校が出場する快挙になりましたね。

 

浜川 たしかに指導者が充実し、練習環境も整いました。しかし、「沖縄のチームは強い」と言われる背景を冷静に見れば、少子化の影響もあると思います。他府県では、いろいろなスポーツが、少ない子供たちを取り合って、高校野球のレベルが下がっているんですよ。一方、沖縄は出生率が高いので、相対的に、レベルアップに映る側面があるんです。しかし、そんな沖縄でも、少年野球に参加する子供たちの数が年々減っています。将来が心配ですね。ところで、今年のセンバツに出場する両チームですが、かなり期待できると思います。興南は、選手たちが甲子園経験を積み、今回は期するところがあるのではないでしょうか。嘉手納は、選手たちが事実上、小中高一貫で硬式野球をし、全国大会で活躍してきました。両チームとも、大きな大会で場慣れしているのが強みです。

 

鈴木 いまの沖縄の高校球児たちを全般的に見渡して、どんな印象を持っていますか?

 

浜川 恵まれていますね。私たちの頃には部活の父母会なんてありませんでしたから。いまは、選手たちの送迎など、バックアップが至れり尽くせりです。指導面や、施設などの環境も、私たちから見れば「最高」です。ただ、気になるのは、ちょっと過保護ですね。過保護になりすぎて、子供たちが、自分の持っているものを出し切れていない部分があるような気がしますね。

 

鈴木 浜川さんにとって、甲子園大会の魅力は?

 

浜川 トーナメントで一発勝負ですから、失敗が許されません。「切符は1枚。負けたら終わり」。そこが魅力ですね。

 

【浜川太氏のプロフィール】
那覇市出身。豊見城高校卒業(第8期)。大阪商業大学卒業。浜川食品代表。沖縄県早朝野球協会会長。沖縄県早朝野球大会は、「家庭を持つと試合から遠ざかってしまう草野球ファンのためになんとか機会を!」という思いと、某タクシー運転手の「一度でいいから奥武山野球場で試合をしてみたい!」というひと言から企画。今年で19年目。参加チーム数は、平均50チーム(一番多い年で72チーム)。厳しい参加ルールのもと、3~5月までの毎週日曜日、奥武山野球場・瀬長島球場を会場に午前6時半(3月は7時)プレーボールで開催。

 

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