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読むビタミン剤・第7錠 素性を隠していたウルトラマン

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沖縄の古い港町には、必ずといってよいほど見事なフクギ並木があります。

 

フクギは、肉厚の丸い葉を、体中に密集させています。これでもか!……というくらいです。この木が防風・防火に優れ、黄色の染料にもなるために、ウチナーンチュはいつしか、福を招く木(フクギ)と尊称するようになりました。原産地がフィリピンであることから、「古琉球」時代に繰り広げた「大交易」の名残りだともいわれます。

 

そのフクギ並木から、ぴょこんと一匹、妙な怪物が飛び出してきました。

 

二本足です。

 

全身、フクギの葉がくっ着いているので、飛び出してこなければ、並木に怪物が潜んでいたとは、だれも気づきません。

 

――宮古島のパーントゥ?……いや、八重山のアカマタ・クロマタかな?

 

よく観察してみると、なんと、ピグモンではありませんか。

 

「おまえ、金チャンのことを考えていたナ?」

 

ピグモンは、こちらへ、テレパシーで言葉を送ってきました。

 

金チャンとは、沖縄出身のシナリオライター・金城哲夫のことです。

 

金城は、『ウルトラQ』全28話のうち13話、『ウルトラマン』全39話のうち15話、『ウルトラセブン』全49話のうち15話の脚本(共作も含む)を担当し、それも、各シリーズとも、第1話と最終話をほとんど手掛けています。まさに『ウルトラ・シリーズ』の生みの親でした。

 

金城は、本土復帰前の1969年に突然、シナリオライターとして順風満帆な東京暮らしを捨て、故郷の沖縄へ帰ってきました。

 

「金チャンは、こう言ってたナ。そのまま東京にとどまっていれば、本土復帰運動のバスに乗り遅れてしまう。ボクは、ウチナーンチュとして、自分の目で返還に至る動きを見つめたかったんだ、と。
帰ってきてから、金チャンはずーっと、東京での活躍を人に話さなかった。金チャンはナ、もう『怪獣作家』じゃなく、『直木賞作家』なんて呼ばれるようになりたかったんだヨ。ウルトラマンを卒業して、沖縄を舞台にした、みんながビックリするような映画やドラマや小説を創りたかったんだ。
だから、当時のウチナーンチュはサ、ウルトラマンのことは知ってても、突然ラジオに現れた男が何者か、ほとんど知らなかったんだヨ」

 

ピグモンは、そこで、テレパシーの発信を休み、大きな目で、こちらの様子をしばらく見守りました。

 

「そうなんだナ。金チャンは、沖縄に帰ってきてから、ラジオ・キャスターの仕事をしてた。おしゃべりが上手だから、たちまち人気者になったんだ。
だが、だんだん、沖縄はこうあるべき!……と、あまりにも正直に思いを吐露するようになっていった。自衛隊の沖縄配備を認めるようなコメントとかナ。それで、とうとう、番組の営業担当から、アンタは政治的に過激すぎる!……っていうクレームがつき、結局、降番する羽目になってしまったんだ。
いま思えば、ストレスが、溜まりに溜まっていたんだヨ。
金チャンを苛立たせたのは、一部のリスナーや営業担当からの批判ばかりじゃなかった。沖縄を舞台にした金チャンの作品の反応が、期待したほど、良くなかったんだヨ。その頃の沖縄は、金チャンのセンスにまだついていけなかったんだナ。
沖縄の、演劇界の馴れ合い体質にも、ずいぶん不満を募らせてた。沖縄芝居の脚本を書いてあげてもギャラを支払わないし、稽古を始めようとしても、役者がちゃんと集まってない。リハーサルをやろうにも、道具がそろわない……。
苛立ちはどんどん、飲む酒の量に比例していったんだヨ。ついには、酒に、依存するようになってしまった」

 

ピグモンは、大きな口からため息を吐きました。

 

「オレが、金チャンの死を聞いたとき、自殺しちゃったかナ、と思ったヨ。真相は、酔っぱらって、書斎がある二階から足を滑らせ、転落してしまったようだが……」

 

ピグモンは、いつのまにか、大きな目に、涙をいっぱい溜めています。

 

「でもなぁ……。金チャンは、そんな辛い時期に、すっごい仕事をしたんだゾ。沖縄海洋博の閉会式の演出サ!
式典の最後は、エキスポ旗、日章旗、沖縄県旗が、音楽にあわせて一緒に降ろされていくはずだった。
ところが、沖縄県旗だけが、なぜか、降ろされないわけサ。それこそ、金チャンの演出!
観衆は、変だぞ?……と初めは思い、やがて、気づくわけサ、沖縄県旗が毅然として降りるのを拒み、式場に独り、はためきながら残っている理由を!
本土復帰を果たした沖縄県の旗が、『自分たちはこれから、自立を目指して頑張るぞ!』って宣言してるんだ!……ってナ。
金チャンほど、ふるさと沖縄に、深い愛情を注いでいたヤツはいない。金チャンが創った、オレたち怪獣が一番よく知っている。
おまえなら、もしかしたら、分かってくれるかナ?……と思って、話し掛けてみた」

 

ピグモンは、そこまで言うと、身を翻して、フクギ並木へ消えました。

 

目をいくら擦っても、フクギの枝葉ばかりで、怪物の姿はみつかりません。

 

白昼夢を見てしまったのでしょうか。

 

いやいや、そうではありません。ピグモンの立っていた所が濡れています。跳ねた途端にこぼれた、大粒の涙です。
(了)

 

*『ビタミンO!kinawa』のシーズンⅠ(全10話)は、『沖縄発奮物語』です。薩摩侵入(慶長の役)、琉球処分、沖縄戦、27年間に及ぶ米軍統治時代などの「苦境」に立ち向かってきたウチナーンチュ(沖縄人)の志と底力をご紹介します。

 

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読むビタミン剤・第6錠 牡蠣は「おいしゅうございます」

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C・W・ニコルの小説『冒険家の食卓』に、カナダの海岸が登場する場面があります。その海岸には、野生のカキ(牡蠣)がたくさん繁殖しています。

 

そして、こんなセリフが続きます。

 

「このカキは、日本人がその昔、運んできたものだってサ」

 

その、運んできた日本人こそ、戦前、沖縄県大宜味村から北米へ渡り、「海の農業」を志すようになった故・宮城新昌です。

 

バンクーバーへ行きますと、メニューに、「太平洋ガキ」を「ミヤギ・オイスター」と記しているレストランもあるそうです。

 

カナダから帰国した宮城は、1920年代に「垂下式」という革命的なカキの養殖法を発明しました。それを、国内ばかりでなく世界中に普及させたことから、「世界のカキ王」と尊称されています。

 

それまでのカキの養殖法は、「地播き式」でした。つまり、種ガキを浅瀬にばらまいて成育を待ったのです。しかし、種ガキが泥に埋もれたり、温度など海水の変化に左右されて、安定した収穫が期待できませんでした。

 

そこで、宮城は、発想を、水平から垂直へ大胆に転換させました。

 

それは、水面に浮かべた筏から、種ガキを挟んだロープを吊し、成育させるというアイデアでした。

 

それならば、種ガキが泥に埋もれることはなく、潮流や水温などの変化にあわせて、筏の位置を変えられます。

 

そうは言っても、実用化に向けて、試行錯誤の日々が続きました。

 

寝食を忘れて取り組んだ宮城は、夜中に突然起き出し、障子の桟を数えだして、

 

「この高さか?……こちらか?」

 

などと口走り、夫人に、気が変になってしまったのではないか?……と、ハラハラさせたエピソードが語り継がれています。

 

宮城が「世界のカキ王」と讃えられる理由のひとつは、「垂下式」の特許をとらず、だれもが使えるように広めたことです。

 

カキは、「海のミルク」といわれるほどタンパク質やミネラルに富んでいます。特に、即効性のエネルギー源であるグリコーゲンをたっぷり含んでいます。

 

ちなみに、「ひとつぶ300メートル」のキャッチフレーズで有名な大手菓子メーカーのグリコは、そのグリコーゲンから、社名をつけました。

 

宮城が「垂下式」の開発に没頭した1920年代を振り返ってみますと、沖縄は「ソテツ地獄」と呼ばれる極度の貧困に見舞われていました。

 

沖縄ばかりではありません。日本各地でも、農村部から恐慌の餌食になり、欠食児童や子供の身売りが横行していました。

 

全身全霊を掛けて「垂下式」の開発に取り組んだ宮城の胸中には、わがことのように他人の苦しみを共有するチムグクルが働いていました。

 

宮城の娘のひとり、「おいしゅうございます」のコメントで人気の食生活ジャーナリスト(人気テレビ番組『料理の鉄人』の審査員)の岸朝子さんは、父親の遺した言葉を心に深くとどめています。

 

「父は生前、こう言っていました。豆腐を、だれがつくり始めたのか、みんな、知らないだろ? カキも、それでいいんだよ。滋養のあるカキを、豆腐のように、安く、手軽に食べられるようにしたいんだ、と」

 

宮城の業績を称えた顕彰碑は、故郷・沖縄から遠く離れた石巻市萩浜に建っています。

 

それは、カキの名産地のひとつである宮城県が、県政100年の記念事業として建立したものです。
(了)

 

*『ビタミンO!kinawa』のシーズンⅠ(全10話)は、『沖縄発奮物語』です。薩摩侵入(慶長の役)、琉球処分、沖縄戦、27年間に及ぶ米軍統治時代などの「苦境」に立ち向かってきたウチナーンチュ(沖縄人)の志と底力をご紹介します。

 

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読むビタミン剤・第5錠 最後の「古琉球」王が伝える気迫

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京都に、「古琉球」の竜が、いまも棲息しています。

 

その竜が、人々の前に姿を現すのは、日本の夏の風物詩・祇園祭のときだけ。古都の街を巡行する山鉾のひとつ、「黒主山」の「前掛け」だからです。染織関係の美術家たちは、その竜を「正面向き五爪竜文様綴錦」と呼んでいます。

 

およそ400年前、薩摩(島津)による琉球侵入という琉日戦争が起きました。

 

有名な「関ヶ原の戦い」の9年後にあたる1609年の出来事です。研究者のなかには、豊臣秀吉による朝鮮半島への出兵を前段に、「もうひとつの慶長の役」ととらえる人もいます。

 

薩摩軍は、山川港から出陣したおよそ3000兵。今帰仁城、首里城をたちまち落とし、琉球国王の尚寧はじめ重臣たちを捕らえて、鹿児島へ凱旋しました。

 

その結果、琉球王国は、中継貿易で栄華を誇った独立自尊の時代「古琉球」に終止符を打ち、中国に朝貢しながらも薩摩藩の附庸という「近世」を歩むことになりました。

 

捕虜として連行された尚寧は、鹿児島からさらに駿府、江戸まで連れて行かれ、徳川家康、秀忠に謁見しています。

 

この旅路で、尚寧は、束の間でしたが、安息の時間も得ました。袋中(たいちゅう)上人と京都で再会し、旧交を温めたのです。

 

袋中上人とは、磐城国(福島県いわき市西郷町)で生を受けた、浄土宗の僧です。琉日戦争の6年前、52歳にして明国への渡海を志し、琉球へ漂着。桂林寺(現・那覇商業高校付近)を建てて住持となり、尚寧や儀間真常(琉球史上最高の産業功労者)らと親交を深めたのでした。

 

袋中上人が、帰国後の1608年に書き上げた『琉球神道記』は、源為朝の琉球渡来に触れるなど、「古琉球」の姿を後世に伝える第一級の史料として高く評価されています。

 

尚寧が、袋中上人との再会を心の糧としたことを物語る絵が残っています。

 

「袋中上人像」です。

 

江戸から薩摩へ戻り、帰国を待つ身の尚寧が自ら描いた人物画です。

 

人を描くと、描いている本人にどこか似てしまう……といわれます。それを信じるならば、袋中上人の表情には、奮い立つようなすさまじい気迫がみなぎっています。特に、眼力の強さ。それは、「やすやすと祖国を敗戦に導いてしまった傷心の王」という尚寧に対する既存のイメージを覆すほどの迫力です。

 

その気迫は、袋中上人が再会の際に励ました言葉のなせる業だったのでしょうか。そして、尚寧は、帰国するにあたり、なにか大きなメッセージをその人物画に込めて、袋中上人に贈ったのでしょうか。描いたタイミングが、島津氏への服属を誓約した「起請文」を記した時期と重なります。

 

袋中上人はその後、「袋中上人像」を含めて、尚寧から贈られた数々の宝物を、三条大橋のほとりに建てた檀王法林寺で現代に遺しました。

 

その宝物群のなかに、「古琉球」の竜がいました。原型は、明国の万歴帝から賜った琉球国王の「第一等正装竜衣」と推察されています。

 

そして、その竜衣が後年、檀家を通して「黒主山」に寄付され、山鉾の前掛けとして使われるようになったのです。

 

そんな背景を知った随筆家の故・岡部伊都子さんは、「尚寧王は、袋中上人の思いを重ねて、祇園祭の竜となっていらした」と『京都新聞』にコメントを寄せています。

 

「沖縄戦」で焼け野原になった沖縄には、東アジアを舞台に「大交易時代」を築いた「古琉球」の面影が、あまり残っていません。

 

その時代の残照は、意外なことに、京都の人々の手で優しく守られていたのです。
(了)

 

◇「黒主山」の前掛けは、「正面向き五爪竜文様綴錦」が傷んだ後、「横向き四爪竜文様綴錦」(こちらも琉球国王の「第一等正装竜衣」の一部と推察)に替わり、現在は「正面向き五爪竜文様綴錦」のレプリカが飾られています。

 

*『ビタミンO!kinawa』のシーズンⅠ(全10話)は、『沖縄発奮物語』です。薩摩侵入(慶長の役)、琉球処分、沖縄戦、27年間に及ぶ米軍統治時代などの「苦境」に立ち向かってきたウチナーンチュ(沖縄人)の志と底力をご紹介します。

 

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